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 一橋ビジネススクールの楠木建教授と社史研究家の杉浦泰氏による人気連載「逆・タイムマシン経営論」。経営判断を惑わす様々な罠(わな=トラップ)を回避するすべを、過去の経営判断や当時のメディアの論調などを分析することで学ぶ。第1章では、「AI(人工知能)」や「サブスクリプション(サブスク)」といったバズワードに象徴される「飛び道具トラップ」、第2章では、新しい技術やビジネスが登場するたびに「激動期が訪れた!」という錯覚に陥る「激動期トラップ」を分析した。

 第3章のテーマは「遠近歪曲(わいきょく)トラップ」。なぜ、「遠いものほど良く見え、近いものほど粗が目立つ」のか。私たちは、例えばイノベーションでは米国のシリコンバレー、社会モデルではスウェーデンなどの北欧諸国を「素晴らしい」と礼賛しがちだ。こうした地理的に遠い諸外国など空間軸だけではなく、時間軸でも「あの頃は良かった」と遠い過去のことを美化してしまうのは世の常だ。

 こうした「遠近歪曲トラップ」にはまらないためにはどうしたらよいのか。第3回は時間軸に着目。取り上げる題材は「人口問題」だ。昨今の経済低迷の大きな要因は「人口減少」とされているが、実は日本は1970年代まで「人口増加」が問題視されていた。なぜ、人口問題は増えても減っても「諸悪の根源」とされるのか。そこにも遠近歪曲トラップが潜んでいた。

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第2回70年代から「ソニー神話崩壊」、繰り返される日本的経営の限界論

 前回は1970年代から80年代にかけての「欧米から見た日本企業」と「日本国内から見た日本企業」のイメージの乖離(かいり)を例に、「遠いものほど良く見え、近いものほど粗が目立つ」という遠近歪曲トラップを検証しました。これは地理的な空間軸上で生じる同時代の罠です。同様のトラップは時間軸上でもしばしば起こります。つまり、「昔のことほど良く見え、現在進行中のことほど深刻に見える」というものです。今回は時間的な遠近歪曲について考察します。

 時間的な遠近歪曲トラップの典型が「人口問題」です。明治維新期の1868年に3400万人程度だった日本の人口は、終戦時の1945年にはおよそ7200万人と倍以上になりました。その後さらに増加を続け、2004年には約1億2700万人になりましたが、この年をピークに日本の人口は減少に転じます。現在までおおむね年率0.2%程度で人口減少が続いています。

そもそも日本は「人口増加が諸悪の根源」だった

 2002年2月25日号の日経ビジネスは「新・成長の限界 人口減少――縮む時代に備えよ」という特集記事を掲載し、日本の人口減少に警鐘を鳴らしています。

 第2次世界大戦後、驚異の経済成長を実現し、世界第2位の経済大国に躍進した日本。多くのニッポン人は、衣食住の憂いなく日々を過ごすことを当たり前と感じるようになった。
 だが、日本がたどった奇跡の「右肩上がり」経済は、人口の爆発的増加があればこそのものだった。人口減少が間近に迫る日本は、成長メカニズム自体が逆回転する恐れがある。いや、既に起き始めているのかもしれない。
 ローマクラブが30年前に警鐘を鳴らした「成長の限界」が別の形で到来する。そこには単に「少子高齢化」という言葉ではくくれない、日本経済が直面する真の構造問題がある。
 人口減少社会の経済の様相はどうなるか。混乱を回避するために、我々は何をすべきか。大勢の子供たちのはしゃぐ声があなたの周りから聞こえなくなってきた今、真剣に考える時期に来ている。

(出所:日経ビジネス2002年2月25日号 特集「新・成長の限界 人口減少――縮む時代に備えよ」)

 この記事から18年たった現在、少子高齢化に伴う人口減少は現実に日本の最大の課題の1つとなっています。「少子化に歯止めをかけ、国として活力を取り戻さなければならない」という問題意識が広く共有され、様々な社会的、経済的な問題が人口減と関連付けられて論じられるようになりました。今では「人口減少=諸悪の根源」の観があります。

 このような議論の前提は次の2つです。第1に、かつて人口が増え続けていた時代は、日本は人口増のメリットを享受できていた(しかし、現在ではそのメリットが失われた)。第2に、人口減が抑制されれば問題は解決、ないし緩和される(だから、少子化に歯止めをかけなければならない)。

 ようするに、人口が増え続けていた昔は良かった、それに比べて人口減少に直面している今は問題が山積している、という話です。ビジネスの文脈でも、「少子高齢化による国内市場の縮小によって……」という文言は、上場企業が提出する有価証券報告書に頻出する定型句になりました。高度成長期の日本企業は、人口増加による内需拡大の追い風を享受できた。ところが、今となっては人口減少で日本国内の市場が縮小し、経営に逆風が吹きつけている。何とかして人口減少に歯止めをかけなければならない――。こうした議論が同時代の空気として定着しています。

 2015年10月19日号の日経ビジネスはその典型で、「40年前に見えた少子化楽観が招いた日本の危機」と総括しています。

 人口減は今や日本経済のアキレス腱(けん)となりつつある。少子化と人口減は70年代から予想されながら、強い対策をとってこなかった。国民の根拠なき楽観と、政治の不作為、官僚の甘い見通しがそこにあった。
(中略)
 戦後70年で最大の難題となりつつある人口減問題は、人災と言えるかもしれない。政と官、そして国民自身がそれを放置してきた結果だからだ。なぜ抜本的な対策が打たれなかったのか。

(出所:日経ビジネス 2015年10月19日号 スペシャルリポート「戦後70年の日本経済(7)見過ごされた人口減 40年前に見えた少子化 楽観が招いた日本の危機」)

 タイムマシンに乗って過去に遡ると、面白いことに気づきます。それほど遠くない昔、日本には「諸悪の根源は人口増だ。何とかして人口増加に歯止めをかけなければならない。このままでは未来は暗い」という、今とは正反対の同時代の空気がありました。長期視点で歴史を振り返れば、日本においては「人口増加が諸悪の根源」という認識だった期間の方がはるかに長いのです。

 かつては社会の敵だった人口増加が今では最上の友となり、かつては実現すべきゴールだった人口抑制が、今では全力で克服しなければならない課題となる。この皮肉な成り行きを明治・大正期に遡ってひもといていきましょう。