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 一橋ビジネススクールの楠木建教授と社史研究家の杉浦泰氏による人気連載「逆・タイムマシン経営論」。経営判断を惑わす様々な罠(わな=トラップ)を回避するすべを、過去の経営判断や当時のメディアの論調などを分析することで学ぶ。第1章では、「AI(人工知能)」や「サブスクリプション(サブスク)」といったバズワードに象徴される「飛び道具トラップ」、第2章では、新しい技術やビジネスが登場するたびに「激動期が訪れた!」という錯覚に陥る「激動期トラップ」を分析した。

 第3章のテーマは「遠近歪曲(わいきょく)トラップ」。なぜ、「遠いものほど良く見え、近いものほど粗が目立つ」のか。私たちは、例えばイノベーションでは米国のシリコンバレー、社会モデルではスウェーデンなどの北欧諸国を「素晴らしい」と礼賛しがちだ。こうした地理的に遠い諸外国など空間軸だけではなく、時間軸でも「あの頃は良かった」と遠い過去のことを美化してしまうのは世の常だ。

 こうした「遠近歪曲トラップ」にはまらないためにはどうしたらよいのか。第2回は、「近いものほど粗が目立つ」という遠近歪曲トラップを、繰り返される「日本的経営限界論」から検証する。海外から「Japan as No.1」と見られていた1970年代後半から、日本では「ソニー神話の崩壊」が指摘され始めるなど、「日本的経営」への懐疑論が噴出している。その背景には、どのような罠が潜んでいるのか。

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第1回遠いものはよく見える? 「シリコンバレー礼賛」の大間違い

近いものほど粗が目立つ

 前回に続いて、地理的な空間軸上での遠近歪曲トラップの考察を続けます。前回は、日本から見た米国のシリコンバレーを題材に、「遠いものほど良く見える」という遠近歪曲を検証しましたが、今回は同じことを裏から見てみましょう。すなわち、「近いものほど粗が目立つ」という同時代性の罠です。

 題材として取り上げるのは、1970年代から1980年代前半にかけての「Japan as No.1」という議論です。当時の日経ビジネスを丹念に読み解くと、欧米と日本それぞれでの議論には相当のギャップが見て取れます。「Japan as No.1」という同時代の空気があった欧米では「日本はすごい」「日本企業は脅威だ」「日本的経営には独自の強みがある」と、日本の競争力についての(今振り返れば)過大な評価がありました。

 ところが、一方の日本ではどうだったでしょうか。「日本的経営は通用しない」「外資企業は脅威だ」という、今と大同小異の議論をしていたのです。欧米にとっては、遠くにある日本が良く見え、日本では身近にある日本の企業や経営の問題点がクローズアップされていました。ようするに、日本と海外の両方で遠近歪曲トラップが作動していたわけです。

1960~80年代、欧米は日本を高く評価

 欧米が「日本経済」に関して遠近歪曲を発生させた発端は1960年代です。この時期になると、経済成長率が他の敗戦国であるイタリアやドイツと比べて高いことが注目され、「日本経済には独特の強さがある」という認識が欧米でのコンセンサスとなりつつありました。

 1962年に英国の経済誌エコノミストが「日本を考える(Consider Japan)」(1962年9月1・8日号)という日本の経済成長についての特集記事を組み、欧米にはない独特な社会文化を世界に伝えました。この記事は日本経済の「黄金の15年間」に高い評価を与えています。

 日本は、アジア・アフリカ諸国の未来の可能性を他に先駆けて実現した国である。非常に貧乏な国がその極度の窮乏を振り払うために、ともかくも第一歩を踏み出すにはどうしたらいいか―これにこそすべての経済問題の中で、数多くの資料がありながら、少しも満足すべき解決が得られない分野である。

 しかし、日本の偉大な経済発展は、この問題に関する実際的なケース・スタディを提供している。というのは、17年前、飢餓に瀕し、荒廃しきっていた日本(終戦1ヶ月後に、その工業生産は戦前の8%であり、1946年2月でさえも16%にすぎなかった)は大きく飛躍して、今日では、ほとんどすべての近代的工業品の分野で世界の6大生産国の一つとなるような大工業国の地位を確立したからである。
(中略)
 日本が大いに発展したこの黄金の15年間は、巧みな運営ばかりでなく多分に幸運に恵まれていたともいえるのである。驚くべきことには、つい最近まで予言者たちはすべて、日本はかならずや世界で最も不幸な国の一つになるといっていた。(a)甚だしい人口の過剰、(b)どうにもならぬ耕地の不足、(c)天然資源の極端な貧しさ、これらは日本の伝統的な不利とされ、この弱点の故に、島国日本は永遠の貧困を宿命的に負わされるだろうと、深刻な表情の経済専門家たちも(またけわしい顔つきの帝国主義的軍人たちも同じように)予言していた。

(出所:英エコノミスト 1962年9月1・8日号「Consider Japan」 翻訳:中央公論「驚くべき日本」)

 エコノミスト誌の日本経済特集は日本でも大きな話題を呼びました。記事は日本語にも翻訳され、多くの日本人は海外から「敗戦国日本」が再び注目を集めるところまで来たことを実感しました。1964年に開催された東京オリンピックも、海外の人々に日本という国への目を向けさせました。

 このようなマクロ視点での日本経済への注目は次第にミクロの論点へと下りていきます。「日本経済」を動かしている「日本企業」「日本的経営」が注目の論点となりました。その代表例が1979年に米国で出版された『Japan as No.1』(エズラ・ヴォーゲル著)です。この本は大きな話題を呼び、トヨタ、ホンダ、ソニーといった戦後の高度成長期の主役が注目されました。終身雇用や年功序列などの日本独特の人事システムはもとより、社訓の唱和、朝礼、ラジオ体操といった日本企業で行われていた組織のルーティンや慣行が、欧米では「日本的経営」の文脈で関心を集めました。

 1980年代になると「なぜ日本企業は強いのか」という議論が米国で盛んになされ、日本研究がある種のブームになりました。当時の米国の経済誌ビジネスウィーク(現ブルームバーグビジネスウィーク)の記事をひもといてみると、特集記事の表紙に日本関連のイラストが頻繁に掲載されていたことが分かります。1980年6月16日号のビジネスウィークは、世界が日の丸で塗りつぶされているイラストを表紙に掲載し、世界における日本のプレゼンスを強調しています。その号では、日本の大企業の海外投資の積極攻勢に大きな関心を寄せていました。

●日本企業の在外保有高(1978年12月31日時点)
企業名 在外保有残高(単位:100万ドル)
三井物産 1041
三菱商事 585
丸紅 577
伊藤忠商事 481
松下電器産業(現パナソニック) 280
住友商事 246
東レ 225
日本アサハン 192
川崎製鉄(現JFEスチール) 188
日商岩井(現双日) 179
出所:米ビジネスウィーク誌(1980年6月16日号)に掲載されたThe Oriental Economistのデータ(1978年12月31日時点)を基に編集部で作成
注:日本アサハン:日本企業11社とインドネシア政府による合弁会社

 このように、1960年代は「日本経済の躍進の理由は何か?」、1980年前後には「日本企業の強さの源泉はどこにあるのか?」という謎解きが欧米である種のブームとなり、エコノミスト誌などのメディアをはじめ、ビジネススクールでも盛んに日本企業の研究が行われました。

 教室での日本人学生の“健闘”とともに、授業で使う企業のケーススタディの材料として、日本の商社、メーカーの“日本的経営”が取り上げられる機会が、このところ非常に増えている。

(出所:日経ビジネス 1977年7月18日号 「カメラ・ルポ ビジネス前線を行く ハーバードBSで急増する“日本的経営”の事例研究」)