一方、国内では「日本的経営」に限界論が噴出

 日本が高度経済成長期を謳歌して「Japan as No.1」と海外から注目された時代に、当の日本では「日本企業」や「日本的経営」をどのように捉えていたのでしょうか。興味深いことに、悲観論が大勢を占めていました。1973年にオイルショックが起こると日本国内では将来を憂慮する見方が大勢となり、1970年代後半には「日本的経営限界論」が噴出しました。

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 ロンドンのエコノミスト誌が「歴史上また社会上のいろいろな理由から、日本人は生まれつき一種の集団主義を持っているように見える。…(中略)…驚いたことに、このふん囲気は成功している産業になればなるほど、そこで働いている労働者(重役も同様)の仕事に対する態度まで包んでいる。それは、伝統ある会社万歳!新三菱重工万歳!といったふん囲気である」(“驚くべき日本”、河村厚訳)として、わが国企業の集団主義を紹介してからことしで15年目になる。
(中略)
 しかし、今回の不況で、多くの企業が希望退職の募集にまで追い込まれたという事実は、伝統的な終身雇用が揺らぎ始めていることを意味している。一度乗ったら定年までは安泰だった「企業丸」も激しい風波をしのぐためには、何人かを途中で下船させなければやっていけなくなったわけである。
 さらに、「企業こそは全宇宙」的な閉鎖性、ひとりよがりも、公害、消費者運動などを通じて、修正を迫られていることも確かである。いわば「日本的経営」の中で醸成された企業倫理が、全く異質の論理による挑戦を受けているとも解釈できる。

(出所:日経ビジネス 1976年9月25日号 創刊7周年記念特集「日本的経営を総点検する」)

 1960年代に高度経済成長期を謳歌した日本企業も、1973年のオイルショックによってその日本的経営を成り立たせてきた終身雇用などの特異なシステムが崩壊しつつある――これが同時代の日本人の認識でした。1970年代の日本では終身雇用をはじめとする日本的経営は変容を余儀なくされるというのが、当時のコンセンサスでした。

 タイムマシンに乗って近過去を訪れると、興味深いことに、同時代の認識では「日本的経営」は常に「崩壊」ということになっています。既に半世紀近く「崩壊」し続け、2020年現在でも「日本的経営」は着実に(?)崩壊を続けています。裏を返せば、50年かかっても崩壊しきっていないとも言えるわけで、どれだけ「日本的経営」は盤石なのかとすら思います。この辺が人間の思考と認識のクセとして面白いところです。

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