アトキンソン氏:例えば、英国は1.7%、米国は0.8%上がっているのですが、日本はわずか0.2%。

 人的資本は中卒であっても大学院卒であっても同じ1人として換算されますが、その生産性の違いが把握されるのは全要素生産性です。つまり、ここから推測されるのは、日本は人材の中身が良くなっていないということです。非正規雇用が増えたことで、正社員向けの研修が減ってスキルアップしていかなかったり、人材へのコミットメントが下がったり、そういうことが巡り巡って全要素生産性が伸びない要因になっているのが問題なのです。特に高齢化しているのにスキルアップをしないと、人材の質はどんどん劣化しますので、悪影響が膨らみます。

 日本の識者は、世界=米国、経済学=米国と考えがちで、本当の世界を見てないのではないでしょうか。私がいろいろなところで、例えば「日本は輸出を増やしていった方がいい」と発言すると、「いや、米国だって輸出比率は低いじゃないか。だから海外でも低い」と反論されます。しかし、米国は低いかもしれないが、それ以外の国と一緒にしないでくれる?と言いたい。米国は特殊な国だから、米国をベースに考えていくのはかなり問題です。

 米国は言うまでもなく、先進国の中でも移民の人口増加比率がものすごく高い。経済成長のだいたい3分の2から4分の3ぐらいは人口増加によるものです。米国の自由資本主義はすごい、ベンチャーがすごい、シリコンバレーがすごい……。これらは全て事実ですが、だからといってそれだけをまねても米国のように成長できるわけではありません。

 人口が減少している日本と、移民で人口増加を続けている米国は基礎的な条件がまったく異なるのに、「米国はすごい。規制緩和のおかげです。だから日本も規制緩和をする」という理屈は意味が分からない。雇用に関する規制緩和はその典型で、そんなことをやっても賃金が上がるはずはないんですよ。だって、非正規雇用の拡大といった、賃金を下げる政策しかやっていないわけですから。

大竹:ありがとうございます。西井さんもうなずきながら聞いていましたね。そもそも今回の対談が実現したのは、西井さんがアトキンソンさんの大ファンだからです。西井さんに取材したとき、「生産性については全部、アトキンソンさんが話している」と言うので、それなら対談で議論をもっと深めましょうということになったわけです。

 西井さんは経営者の立場で今のアトキンソンさんの話を聞いて、どう思いましたか。

「高品質低価格が日本を滅ぼす」

<span class="fontBold">西井孝明(にしい・たかあき)</span> 味の素社長<br />1959年生まれ。78年奈良県立畝傍高等学校を卒業後、同志社大学文学部に入学。82年、同志社大学を卒業し、味の素に入社。営業やマーケティング、人事などを担当。2004年に味の素冷凍食品に出向し、取締役に就任。当時不振事業だった家庭用冷凍食品の業績を改善。09年には本社人事部長を務め、11年に執行役員に就任する。13年にはブラジル味の素社長に就任。15年に創業家を除いて、歴代最年少となる55歳で味の素社長に就任
西井孝明(にしい・たかあき) 味の素社長
1959年生まれ。78年奈良県立畝傍高等学校を卒業後、同志社大学文学部に入学。82年、同志社大学を卒業し、味の素に入社。営業やマーケティング、人事などを担当。2004年に味の素冷凍食品に出向し、取締役に就任。当時不振事業だった家庭用冷凍食品の業績を改善。09年には本社人事部長を務め、11年に執行役員に就任する。13年にはブラジル味の素社長に就任。15年に創業家を除いて、歴代最年少となる55歳で味の素社長に就任

西井孝明・味の素社長(以下、西井氏):はい。アトキンソンさんの大ファンなのですが、きっかけはある流通業の方がアトキンソンさんの本を読んで、「高品質低価格というのはあり得ない、高品質低価格が日本が滅ぼす」という趣旨の発言をしていて、それをきっかけにアトキンソンさんの本を読み始めました。書かれていることは、あまりにも正論というか、緻密な分析に基づいたロジカルな主張なので、とてもはまってしまったというわけです。

関連記事:[議論]西井孝明「生産性向上の切り札は海外での価値訴求だ

 「なぜ賃金が上がらないのか」という問題について、私はアトキンソンさんのようにマクロな視点ではお話しできません。しかし、私は昭和の時代、1980年代の後半ぐらいまでは、日本ではインフレを価格に転嫁したり、最低賃金を上げていったりするトレンドはあったと思います。しかし、残念ながら平成の時代、90年代に入ってバブルが崩壊したころから、ものすごく価格を上げにくくなりました。

 冷凍食品の場合、1988年に商品の価格を値上げしてから、2008年に再び値上げをするまで、20年以上、価格を据え置いています。2008年の値上げは私が主導したので明解に覚えています。

 私たち味の素が20年間上げていないということは、日本のほとんどの食品メーカーはその期間、上げていません。具体的に味の素の商品でいうと、例えば冷凍ギョーザの1パックの値段は、40年前に発売したときは250円でした。私が値上げを決めた2008年は、お客様に買っていただく小売りでの売価がだいたい138円でした。発売してからの中身を改良してきているのに。

 世の中全体がずっとこういう状態があって、結果として我々も価格を上げることができなかった。価格を上げられなければ給料に反映することができません。その結果、先ほどのお話の通り、工場の現場などでいわゆる「非正規」と呼ばれる雇用形態の方々の比率がどんどん高まっていったのだと思います。

 従って、何がデフレスパイラルのきっかけかは分かりませんが、アトキンソンさんがいろいろなところでお話しになっているように、やはり最低賃金の引き上げはとても重要な社会施策だと思います。日本以外の多くの国では、最低賃金を引き上げているんですよね。

 私が以前いたブラジルでは当時、だいたい最低賃金が6~6.5%ほど毎年上がっていました。これは国が決めますから、我々民間企業は最低賃金の上昇を前提にインフレ率を考慮して、商品の値段を9%上げるといったことを毎年やるわけです。それが社会に還元されていて、数パーセントの経済成長率につながっていくということ、ブラジルでは体験しました。ですので、やはりこの国の賃金が上がらない仕組みが、諸悪の根源であるということを本当に実感しています。

次ページ この国の低価格信仰はおかしい