「インフラ」視点の欠落
なぜ過去50年にわたる自動車の未来予測の多くが外れてしまっているのでしょうか? さまざまな未来予測に共通しているのは、あっさりいえば「ユーザーの視点」が抜け落ちているということです。「顧客の立場で考える」――言葉にすれば商売の基本にして原理原則といってよい当たり前のことですが、こと未来予測となると肝心要の基本がどこかに行ってしまう。これが人間の思考や認識の面白いところです。
エレクトロニクスという新しい要素技術に着目するという方向性はおおむね正しく、過去の未来予測もある程度までは当たっています。しかしその一方で、肝心のユーザーが実際にどのような状況で何を求めてどのように車を使うのか、肝心要の顧客価値についての理解が欠落しています。
自動車についていえば、とりわけ重要になるのが車とインフラとの相互依存関係です。「安心・安全に運転できる」「経済的に効率よく移動できる」「ドライブをして楽しい」といった基本的な価値を実現するためには、前提として道路はもちろん、駐車スペースや車を駆動するエネルギー供給システムなど、ありとあらゆるインフラが不可欠になります。一般に、未来予測は局所的な技術革新の「激動」に注目するあまり、車がその価値を発揮する前提条件となるインフラの重要性を見過ごしがちです。
逆に言えば、車の「パーツ」についてはエレクトロニクス化などの変化が相対的に起こりやすいということです。既に見たように、ドアロックやパワーウインドー、ナビゲーションなどの各種パーツには実際にエレクトロニクスが応用され、1968年と比べれば現在の自動車は相当に進歩しています。
2010年代以降にいよいよホットイシューになってきた自動運転にしても、センサーなどのパーツや、低遅延の通信における即時制御といった局所的な技術は日進月歩の勢いで進歩しています。ところが、自動運転の構成要素に注目が集まる一方、これらのパーツが一つのまとまりをもった自動車に統合され、「普通の人々が日常的に安全に、快適に、効率的に利用できる移動と輸送のシステム」についてはさほどメディアは論じません。
確かに自動車メーカーや自動車部品メーカーの目で見れば、エレクトロニクスや自動運転といった新しい技術は実現可能な未来として映ります。しかし、それは技術的に「できる」ということであって、大衆が実際に「する」ということとは異なります。「できる」と「する」のギャップを見落としてしまう。ここに「同時代性の罠(わな)」が口を開けています。
構成要素についての技術革新が旺盛なときほど、人はインフラを軽視する。この傾向は今も昔も変わりません。1968年に日産の中川常務は新しい自動車には「都市構造の変化」が必要と指摘していますが、都市構造の変化ほど時間が掛かる仕事はありません(これについては後述します)。
近年、自動車業界でその発言と行動が大いに注目を集めている人物に、テスラの創業者、イーロン・マスク氏がいます。彼にしても、2014年の「新技術で世の中はこう変わる」という日経ビジネスのインタビュー記事で、自動運転が「できるようになる」という要素技術の進歩を強調していますが、インフラについては言及していません。
私は自動運転技術の熱心な信奉者です。以前は市販車における完全な自動運転の実現には10年は掛かると思っていましたが、たぶん5〜6年で実現できそうです。開発には時間が掛かりますが、テスラは5年程度の時間軸で自社のEVに完全な自動運転技術を搭載することを考えています。すべてのクルマに、自動運転技術が搭載される日が来るでしょう。
(出所:日経ビジネス2014年9月29日号特集「秩序の破壊者 イーロン・マスク テスラの先に抱く野望」)
自動車の要素技術の革新に比べたときのインフラ構築の難しさは、2015年に日本国内で話題になった「FCV(燃料電池車)」の事例が象徴しています。
日経ビジネスは2015年6月4日、政財界の要人を集めて「水素」に関するシンポジウムを開催しています。舛添要一(東京都知事・当時)が「1964年の東京五輪では新幹線がレガシー(遺産)として残った。2020年のレガシーとして、私は水素社会を残す」(日経ビジネス2015年6月15日号時事深層「水素社会の実現に官民連携が必須」)と発言するなど、水素を活用した未来の自動車に大きな注目が集まりました。経産省も水素社会の実現のためのロードマップを作成するなど、新技術の普及に本腰を入れ、政財界を巻き込んだ大プロジェクトに発展します。
当初の期待感は大きく、2015年6月15日号の日経ビジネスは「水素社会の実現に官民連携が必須」という記事を掲載し、「日本が世界に先駆けて水素社会を実現するには、さらなる官民連携が不可欠だ」という議論を展開しました。2015年は水素自動車に関する様々なビジネスが話題となりましたが、その中で最も注目を浴びたのが、2014年12月15日にトヨタ自動車が発売した水素自動車「ミライ」です。
また、燃料としての水素にも注目が集まり、2015年にはガス専門商社である岩谷産業がFCV向けの水素事業を本格化させることが注目を浴びました。同年4月6日号の日経ビジネスはこの動きに注目し、「プロパンガスやカセットコンロで知られる岩谷産業が水素に将来を託す。創業者から受け継がれた執念が、長い助走期間を経て、結実しようとしている。プロパンガスによる『台所革命』から半世紀。次に目指すのは『水素革命』だ」(日経ビジネス2015年4月6日号 企業研究 岩谷産業「『水素は売れる』70年の執念」)と伝えています。
岩谷産業の牧野明次(当時会長兼CEO=最高経営責任者)は「今後、水素需要が急増するのに合わせ、生産能力を引き上げる。現在、国内では液化水素のプラントを3カ所持っているが、そのうちまず山口県周南市のプラントの能力を2倍に増強するつもりだ。ただし、水素需要が国のロードマップ通りに増えたとしたら、とても国内生産だけでは追いつかない」(同記事)と語り、水素の需要急増を見据えていました。
「水素革命」が叫ばれてから、早5年が経過しますが、水素社会の到来はおろか、燃料電池車が普及する様子はまったくありません。2017年1月の時点で国内の水素ステーションの数は約80カ所と言われ、普及には程遠い現実が待っていました。このいきさつについて、2017年の日経ビジネスは早くも「早すぎたFCV戦略」と総括しています(日経ビジネス2017年2月27日号特集「すべる経産省 舞台広がれど視野狭く」)。
だが現状を見ると、FCVの普及ペースはあまりに遅い。デロイトトーマツコンサルティングが2014年11月に公表した予測では、FCVの国内販売台数は2016年までに累計3000台。かなり控えめな数字と言えるが、実際にはこの予測をさらに下回り、トヨタが2016年末までで国内約1370台。ホンダに至っては104台という低水準にとどまっている。...(中略)...クルマだけではない。FCVの普及と「ニワトリと卵」の関係にある水素ステーションも整備が遅れている。
(出所:日経ビジネス2017年2月27日号特集「すべる経産省 舞台広がれど視野狭く」)
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