ことごとく外れる未来予測
規模でも、産業の裾野の広がりでも、人々の生活に与える影響でも、自動車はもっとも広範な人々の関心を集める産業です。未来予測についての言説も例外ではありません。この半世紀ほどメディアは繰り返し自動車産業の未来を論じてきました。典型的な例として、自動車の未来予測に関する日経ビジネスの記事と、日経ビジネス誌が創刊する1年前(1968年)に経済雑誌ダイヤモンドが特集した「自動車の未来図」という特集記事を見てみましょう。
日本の自動車工業はどこまで発展できるのか。ヨーロッパなみに乗用車を5人で1台所有するようになったらそこが終点だという説が強い。が、現実に2人で1台の車を持っているアメリカではビッグ3が強気の需要予測をやっている。車は1家族が2台持てばもう更新需要だけになってしまうのではない。いまや用途によって車を使い分けるTPOの時代だ。しかもその機能を追究していけば近い将来、車は3つの型に分離するだろう。自動電子装置をつけたドリームカー、現在のスポーツカー的なセダン、都市走行専門のコミューターと、質的にも大きく転換するだろうというのだ。
(出所:ダイヤモンド1968年年4月22日号「ビッグ3が描く 自動車産業の未来図」)
技術の革新により、自動車産業はあと10年ぐらいでかなり違ったものに姿を変えるだろう。1つには、燃料電池という小型発電機の登場で、ガソリンエンジンが姿を消してしまう可能性がある。ITS(高度道路交通システム)が実現すれば、クルマは自動運転する乗り物になるだろう。販売では、米国ですでに急速に伸びつつあるインターネット販売が日本でも広く普及するはずだ。
“新エンジン”の登場と情報化の進展。この2つの技術革新は自動車の産業構造全体を強く揺さぶる。
エンジンという主要部品が無くなれば複数の部品メーカーは宙に浮き、代わって新手の電機・電子部品メーカーが登場する。完成車メーカーと部品メーカーの力関係もこれまでとは様変わりするだろう。
(出所:日経ビジネス1998年10月12日号特集「自動車の未来 次世代技術が迫る産業構造大転換」)
自動車の未来予測に関する2つの記事をご紹介しましたが、いずれも半世紀から20年ほど前の時点での近未来の自動車の予想図です。こうした言説を2020年の現時点から振り返るとどうでしょうか。描かれている「未来」はほとんど実現していません。実現していても非常に遅いペースであり、「激動」からは程遠いことがわかります。
とりわけ興味深いのは、1968年のダイヤモンドが特集した「自動車産業の未来図」です。同時代の背景を簡単に説明すると、1960年代後半は日本でもいよいよモータリゼーションが進行し、1967年の時点では日本人は10人で1台の車を持つに至り、各家庭に自動車があることが標準的な姿となりつつありました。いずれ「5人に1台」という水準に達した時に「日本の自動車産業は頭打ちになるか?」「その打開は?」というのがこの記事の論点です。
1960年代後半というモータリゼーションの絶頂期に早くも「自動車需要の頭打ち」を指摘していることが興味深いのですが、それ以上に注目すべきは、この記事の「結論を先に出せば、決してそうならない。一時的な、"踊り場"はあっても、自動車産業は電子産業と密接に結びつき、再び成長産業に生まれ変わるだろう」という主張です。
ちなみに、ダイヤモンドだけではなく、自動車業界の重鎮も同じように「エレクトロニクス」が重要になると考えていました。1968年に日産自動車の常務であった中川良一氏は、スケールの大きな自動車産業の将来見通しを開陳しています。
エレクトロニクスで自動車をコントロールする時代は、そう遠いことではない。最近では集積回路使用の電圧調整装置を入れようとしているほどで、意外に早くエレクトロニクス時代がくるだろう。
これには条件がある。エレクトロニクス時代をフォローする都市構造の変化と、エレクトロニクス産業そのものの大衆化、すなわち製品の低コスト化である。
たとえば電子による自動操縦装置を組み込んだとする。が、自動車は鉄道よりも、はるかに複雑である。人ごみのダウンタウンでは少なくとも使用不可能であり、これを使用できるようなスーパー・フリーウェイの登場が前提となる。
(出所:ダイヤモンド1968年4月22日号 「車はエレクトロニクスの技術を吸収して幅広く展開する 日産自動車 常務 中川良一」)
2020年の今、自動車にエレクトロニクスが組み込まれると予測されてから既に50年以上が経過しています。ところが面白いことに、つい最近の2010年代の自動車業界でも、「自動車にエレクトロニクスを組み込むことが大事だ」という主張が相変わらず繰り返されていました。要するに、「変わっているけど変わってない」というが実際のところです。
冷静に歴史をひもとけば、自動車にエレクトロニクスを組み込むという発想は、50年以上も前から提唱されていました。あたかも2010年代に入って「自動車産業の電子化が急激に進んでいる」と勘違いしがちですが、1960年代からじわじわと電子化の波が自動車に押し寄せているのが実態です。人々の感覚からすると意外なほどに進歩は遅いのです。
自動車にエレクトロニクスを組み込むこと、すなわち「車のコンピューター化」は自動車の未来予測における鉄板ネタとなっています。1968年のダイヤモンドの記事はもちろん、1998年の日経ビジネスの記事、いずれも共通して「車のコンピューター化」が自動車の未来を考える上で最重要の論点としていました。
1998年10月12日号の日経ビジネスの記事には自動車のエレクトロニクス化が「既にこんなに進んでいる」という図が記載されています。1968年のダイヤモンドの記事と横に並べてみると、「30年でこれだけしか進まないのか」ということにむしろ驚きを感じます。1998年の時点では、確かにドアロックやパワーウインドーなど、自動車というハードウエアを構成する特定の部品や要素のレベルではある程度まで電子化は進んでいます。しかし、「自動運転」のような統合的な技術は、1968年から30年を経ても実用レベルでは一向に実現していません。
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