サンフランシスコ講和条約と日本の独立

 1951年、日本はサンフランシスコ講和会議で日米安全保障条約を結び、アメリカの占領下から独立します。日本の幸運は、吉田茂というリーダーがいたことです。明治維新は鎖国の200年の遅れを取り戻す運動で、そのビジョンを描いたのは当時35歳で江戸幕府の総理大臣的な役割を果たしていた阿部正弘でした。そのビジョンが開国・富国・強兵という3つだったことは、これまでお話ししてきました。

 ところが、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦とうまくいったので、日本は調子に乗って開国を捨てます。「富国強兵だけでやれる。世界と仲良くせんでもええ」というわけです。この結果が第2次世界大戦の敗戦です。吉田茂はもう一度この3枚のカードを机の上に置いて、開国と富国に力を入れ、強兵は日米安保条約で代替しようと考えたのです。

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