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ワシントン-北京枢軸は実現せず。幸運だった日本

 この1949年はものすごく重要な年です。1つはソ連が原爆実験を成功させたからです。何やかんやいっても、それまでアメリカがソ連にいうことを聞かせることができたのは、原子爆弾を独占していたからです。

 前回も話したように、アメリカが広島と長崎に原子爆弾を落とした理由にはいろいろな説がありますが、ソ連に見せつけるためだったというのが有力説です。つまり、陸軍ではソ連が圧倒的に強いけれども、アメリカは「変な気を起こしたら原子爆弾を落とすで」という脅しをかけたのです。

 ソ連はそのことを百も承知で、アメリカに対抗するためには原子爆弾を持たなければ話にならないということが分かっていました。だからドイツを占領したとき、ドイツの学者をごっそり連れて帰って、優遇して原子爆弾を作ったのです。これで米ソの対立が決定的になります。

 もう一つ重要なのは、国共内戦が終結して、中華人民共和国ができたことです。アメリカはめちゃ焦ります。なぜかというと、蒋介石と組んでアジアの平和を維持しようと考えていたからです。アメリカの太平洋戦略はワシントン-北京枢軸だったのです。

 ところが、北京が毛沢東に取られて、あろうことか中ソ同盟を結んでしまいました。自分の花嫁がライバルの花嫁になってしまったわけです。

 そこから日本の幸運が始まります。それまでのアメリカは「日本がもう二度とバカな戦争をしないように戦犯を追放しよう。工業国として発展させる必要はない。小さい国として放っておいたらいい」と考えていました。だからワシントンは、マッカーサーのような能力的にはやや疑問がある司令官を東京に送っていたのです。

 マッカーサーはもともと、フィリピンの司令官で、それほどワシントンでは評価されていませんでした。しかし、北京が共産陣営に取られた今、東アジアで人口がたくさんいて、近代的な工業国というのは日本以外にはありません。そこで国共内戦の終結以来、アメリカは手のひらを返すように、日本の復活を助けてくれるようになります。

 もう一つ日本の幸運がありました。1950年に朝鮮戦争が始まったことです。アメリカが一所懸命日本を復興させようとしたときに、近くで戦争が始まり特需が発生したのです。朝鮮特需と呼ばれていますが、今のお金にして30兆~40兆円という規模の有効需要が生まれました。平たくいえば、何をつくっても買ってくれるわけです。これによって戦後の日本の復興に弾みがつきました。こんな幸運はないですよね。

 さらに言うと、アメリカは日本の経済再建に対して、厳しいガイドラインを設定していました。例えば、1ドル360円という固定レートです。戦争直後の日本の実力は1ドル1000円ぐらいだったと思います。360円というのはものすごい円高です。でも、アメリカが決めたことに逆らえない。だから、必死で円高に耐えたわけです。それに耐えたが故に日本経済は強くなりました。

 1913年と1950年。つまり第1次世界大戦前と第2次世界大戦後の国内総生産(GDP)の世界シェアを比較して分かることは、まず、中国は戦争の舞台になったのでガタガタになったということです。中国が世界のGDPに占める割合は8.9%から4.5%へとほぼ半減しています。一方、アメリカは19.1%から27.3%へとめちゃくちゃ伸びています。ソ連は8.6%から9.6%であまり変わりません。UKは8.3%から6.5%、ドイツは8.8%から5.5%と落ち込んでいます。日本は2.6%から3.0%とそれほど変化がありません。

 2つの戦争で何が起きたかというと、ヨーロッパの経済が落ち込み、アジアも中国が戦争の舞台になったので落ち込みました。要するにアメリカのひとり勝ちです。2つの戦争の結果、アメリカが超大国になりました。