第2次世界大戦の勃発と「総力戦」を学ばなかった日本

 ノモンハン事件では、日本軍最強といわれた関東軍がソ連にちょっかいを出したのですが完敗します。なぜ完敗したかというと、日本は火事場泥棒的に第1次世界大戦に参戦しましたが、ヨーロッパでは戦っていません。ヨーロッパの戦場では新しい兵器や戦車、飛行機が登場したところで、第1次世界大戦は初めての総力戦でした。つまり、戦争は国のGDPの戦いだということが分かったのです。

 しかし日本は、ヨーロッパから離れていたので総力戦を十分に学ぶことができませんでした。いまだに、日露戦争の日本海海戦のように大きい戦艦をつくったら勝てるといった発想でした。日本の鉄道は狭軌で線路の幅が狭いのですが、ヨーロッパの鉄道は広軌ですよね。だから、大きな戦車を鉄道に乗せて運べるわけです。ところが日本は孤立して世界の現実を知りませんから、「大きい戦車は鉄道で運べないから軽い方がいい」といって小さい戦車をつくるわけです。

 ドイツは第1次世界大戦に負けて軍隊の規模を10万人に制限され、しかも戦車などの開発も禁止されました。ところがドイツには19世紀後半に参謀総長を務めたモルトケ以来、参謀本部に優秀な軍人が山ほどいます。その彼らが知恵を働かせて、革命政府ができたばかりのソ連に接近し、ソ連軍を鍛えて幹部を養成していたのです。戦車などの技術も教えました。ドイツに鍛えられて強くなったソ連軍とノモンハンで戦ったら話にならないわけです。

 向こうは最新の戦車を持っている。日本の戦車は小さい。だから、ボコボコにされて負けるわけです。それでも、日本軍最強といわれていた関東軍が負けたことが知れ渡ると、格好悪いし士気が落ちるので全部秘密にされました。秘密にしたことで、敗北から学ぶこともできなくなったのです。ここで日本は、軍隊を近代化するチャンスを失いました。

 ヒトラーとムッソリーニは鋼鉄同盟を結びます。1939年5月のことです。加えて、ヒトラーは独ソ不可侵条約を結びます。日本は独ソ不可侵条約が結ばれたとき、あっけにとられます。世界の孤児になり、国際連盟を脱退したドイツやイタリアぐらいしか仲間はいなかったわけですから、情報も入ってこないのです。

 それで「欧州の情勢は複雑怪奇なり」という声明を出して平沼騏一郎内閣が総辞職します。「世界のことは分からない。政治はできへん」といって辞めてしまう。にわかには信じられないような話ですよね。

 ヒトラーはポーランドに侵攻します。ドイツ軍は再軍備を始めてからわずか4年で十分な準備ができていないので、それほど強くはない。それでも相手はポーランドだから勝つのです。このとき、英仏が総力を挙げて攻めていたら、ドイツは終わったかもしれません。英仏はポーランドとの約束に従って宣戦を布告はするのですが、準備もしていませんし、もともとドイツに巨額の賠償を負わせて悪いことをしたという思いがあるから、本気で戦わないわけです。

 ポーランドに侵攻した後、ヒトラーは半年間必死に準備をしてフランスを倒します。フランスが倒されたのを見て、イタリアが参戦します。イタリアはなかなか賢いところがあり、戦争に入るのは一番後で、出ていくのは一番早い。そういう面では、ものすごくリアリズムのある国です。その後、日独伊三国同盟が結ばれるわけですね。

 ヒトラーは、フランスは倒したのですが、大英帝国に進入するに足る十分な海軍を持っていないので、飛行機でがんがん攻めていきます。これが「ブリテンの戦い」と呼ばれる1940年7月から10月まで続いた航空戦で、空爆は1941年5月までひたすら続きました。

 ただ当時は飛行機の航続距離がそれほど長くはないので、フランスからロンドンに飛んで行ってもロンドンの上空を30分ほどしか飛行できません。そのため、ロンドンは爆弾をたくさん落とされても、頑張り続けることができました。

 面白いことにドイツ軍の飛行機を迎撃した大英帝国の空軍のパイロットの半分はポーランド人といわれています。ポーランドの人々が亡命してきて、彼らはここで仕返しをしたわけですね。ここが大英帝国のすごいところで、どこの国の人でもいいから使えるものは徹底的に使うのです。植民地ではインド人を使い、ドイツとの戦いではポーランドの亡命政府を使う。したたかですよね。

 アメリカでは、ルーズベルトが「やはりナチスはけしからん」と考えていました。それで武器貸与法をつくります。要するに、武器をがんがん製造して、ドイツと戦っている国にいくらでも貸してあげる、という法律です。

 おそらくこの段階で、もう第2次世界大戦の帰趨は決まっていたと思います。世界一の経済大国が、連合国にいくらでも武器を供与すると決めたわけですから。

次ページ 終戦後のビジョンをつくった上で参戦したルーズベルト