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外交の天才、ビスマルクの活躍

 スエズ運河が開通した年に「エムス電報事件」が起こります。これは何かというと、スペインで革命が起こってブルボン家が追放されて共和政になるのですが、やはり王政の方がいいということになりました。それまでのスペインの国王はフランスのブルボン家出身でしたが、新しい国王の候補にプロイセンの王族の名前が載ったのです。フランスにしてみたら、スペイン王がプロイセンの王族になったら、またドイツとスペインに挟まれることになります。ナポレオン3世にとっては許し難い。ヴィルヘルム1世も、「そんなことはしない」と明言して、いったん騒ぎは収まります。

 ところがエムスという温泉にヴィルヘルム1世が滞在しているとき、フランスの大使がヴィルヘルム1世を訪ねて「あなたはスペインにもう絶対ちょっかいを出しませんね」と話を蒸し返すわけです。ヴィルヘルム1世は怒りますよね。「俺、既に明言してるやないか。スペインに野望はあらへんでと。おまえ、失礼なやつやな。大使の分際でそんなことを俺にわざわざ確認しにきたのか」と。それでヴィルヘルム1世は、ベルリンのビスマルクに電報を送ります。「ビスマルクや、フランスの大使が静養中の俺のところへやって来てこんなことを言いよったで。追い返したが、しょうもない国やな」と報告したわけです。

 ビスマルクはこの電報を微妙に改ざんしてプレス発表します。要するに、「礼儀作法を知らないフランス人がプロイセンの国王に無礼なことをしたので追い返されて、尻尾を巻いて逃げていった」というように。これに対してフランスの世論は激高して、何の準備もないのにプロイセンに戦争を仕掛けます。ビスマルクはこれを待っていたわけですから、ワナに引っ掛かったなということで、この戦争に圧勝します。

 ナポレオン3世は、放蕩(ほうとう)がたたって当時は歩くのもやっとという状態でした。皇后のウジェニーは、ナポレオン4世という賢い子どもも授かっていたので、歩けないのに女遊びをやめない夫に愛想を尽かし「あなたが戦場に行ったらフランスの将兵が発奮してきっとプロイセンをやっつけますよ。パリは摂政の私と皇太子で守りますから」と、旦那を送り出しました。皇帝は戦死してもいいと思ったのかもしれません。ナポレオン3世は足を引きずりながらセダンに行って、包囲されます。でもナポレオン3世っは必死に戦うのではなく、「どうせ負けるのだったらフランス人の血を流さないで、降伏した方がフランスのためや」と考えてあっさり降伏するのです。血を流すことを全くためらわなかったナポレオン1世とはえらい違いです。

 これで第2帝政は瓦解します。ナポレオン3世はフランスに居場所がないので、家族ともどもロンドンに亡命します。屋敷はコールガールだった昔の英国のガールフレンドが準備してくれました。不思議な人ですね。女性にもてたんですね。

 第2帝政が倒れてドイツ帝国が樹立されます。ヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝の戴冠式を行ったのは、ベルリンをナポレオンに占領されたプロイセンの領土が半減した仕返しですね。これがまた第2次世界大戦でひっくり返るわけですから、怨念は怖いですね。

 ビスマルクは大変賢い人で、この戦争でフランスがドイツを恨んでいるということを十分認識していたので、フランスを孤立させようと考えるわけです。まず1873年にオーストリア、ロシアと結んで三帝同盟をつくります。

 1875年、フランスが開発したスエズ運河会社の株が売りに出ます。フランスは、株の半分をエジプトに渡していたのです。財政が苦しくなったエジプト政府は深く考えずに、「誰か買ってくれませんか」と売りに出しました。これにイングランドが飛び付いて、ロスチャイルド銀行から融資を受けて、スエズ運河を実質的に乗っ取ってしまいます。商売が本当にうまいですよね。

 南アフリカではセシル・ローズという人がダイヤモンドの採掘会社デ・ビアスをつくって、ダイヤモンド王になります。ビスマルクは三帝同盟に加えて、オーストリア、イタリアと三国同盟を結びますが、オーストリアとイタリアはベネチアとロンバルディアを巡って争っています。お互い仇敵(きゅうてき)なのに、ビスマルクの口車に乗ると同盟を結んでしまうのです。ビスマルクは、ロシアともオーストリアともイタリアとも上手に同盟を結んでフランスを孤立させることに成功しました。ビスマルクは本当に外交の天才です。

 アフリカで列強の植民地の争奪戦が始まると、みんながけんかをしていたら駄目ですよね、と言って、ビスマルクがベルリンで会議を主催して上手にまとめてしまいます。本当に、天賦の才の持ち主です。でもビスマルクは大変わがままな人でした。皇帝に提案して皇帝が渋ると怒って田舎に引きこもってしまうのです。自分の領地に帰って、皇帝が折れるまで2カ月も3カ月も帰ってこない。ひどい部下です。ヴィルヘルム1世は名言を残しています。「ビスマルクの下で皇帝を務めることは難儀な仕事である」と。でもすごいのは、こんなわがままな部下でありながら、その能力を認めてずっと使い続けたことがドイツ帝国の幸運です。

 ところがそのヴィルヘルム1世が没し、フリードリヒ3世という子どもも病気ですぐに死んでしまいます。そこで孫のヴィルヘルム2世が即位するのですが、そのころからプロイセンはおかしくなります。ヴィルヘルム2世はヴィルヘルム1世の遺言で「ビスマルクを大事にせんとあかんで」と言われていたのですが、我慢しきれなくなり2年後の1890年にビスマルクをクビにします。ヴィルヘルム2世には高度な外交の考え方が分かりませんから、「オーストリア、イタリアと同盟を結んでいるのに、それに敵対するロシアと何で仲良くするんだ。筋が通らん」と直情的に考えてロシアとの再保障条約を更新しませんでした。ロシアは心配になって1894年、露仏同盟を結びます。これで今度はプロイセンが挟まれたわけです。外交は怖いですよね。