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アメリカの市民戦争で60万人も死者が出た理由

米国の南北戦争(写真:ユニフォトプレス)

 アメリカでは市民戦争(南北戦争)が始まりますが、実は奴隷の解放は戦争にはほとんど関係がありません。北部では軽工業が誕生しつつあったのですが、自由貿易をやってロンドンと競争したらアメリカの軽工業は全部潰れてしまいます。だから徹底的に保護貿易をして、関税を掛けてアメリカの軽工業を守ろうとしたのです。南部は、映画『風と共に去りぬ』、スカーレット・オハラの世界です。「綿花とか小麦とかをがんがんヨーロッパに売って金もうけしたらええやないか」と考えていました。当然、自由貿易を望みます。市民戦争は、政策が180度異なる自由貿易対保護貿易の戦争だったのです。だからこそ60万人もの市民が死んだのです。第1次世界大戦や第2次世界大戦を含めて、アメリカがこれまでに行った戦争で一番死者が多かったのは、この市民戦争です。いかに大変だったかが分かりますね。

 これに対して日本の明治維新では、死者数は1万3000人ぐらいです。なぜ死者が少なかったかといえば、政策やイデオロギー上の対立がなかったからです。薩長も尊皇攘夷とはいいながら、実は開国・富国・強兵だと腹の中では分かっていたわけですから、両方が戦う対立軸が実はなかったのです。東北で戦争があったのは、「同士をたくさん殺した会津藩は許さへんで」という、いわば怨念の戦いです。対立軸がないので、徹底的には戦えないのです。

 ナポレオン3世は、最後にメキシコに戦争を仕掛けます。オーストリア・ハンガリー帝国はフランツ・ヨーゼフという愚鈍な皇帝の時代です。この皇帝の奥さまが有名なエリーザベト(シシィ)です。この愚鈍な皇帝は、弟のマクシミリアンを大事にしない。弟は邪魔だとばかりに、小さい海辺の城に住まわせている。かわいそうですよね。皇帝の実弟なのに、領土も何もなく小さい城に閉じ込められていました。

 そこにナポレオン3世がささやくわけです。「メキシコの皇帝にしてやるで」と。やる気が出ますよね。実際にメキシコに行って皇帝になります。でもメキシコ人が喜ぶはずがないですよね。フランスがメキシコに戦争を仕掛けたのは、借金を返さないのはけしからんという理由ですが、それは口実でした。ベニート・フアレスという先住民から初めてメキシコの大統領になった人が、メキシコの自主独立を求めて欧米からの借金を踏み倒したからです。ナポレオン3世は、栄光的なレガシーをつくりたかったのです。メキシコを戦争で分捕って、アメリカ大陸にまたフランスの領土を取り戻そうと考えたわけですね。

 その考えに、マクシミリアンが乗ったわけですね。でもメキシコ人の抵抗が強くなって、フアレスが復帰して、メキシコ帝国はあっけなく潰れて、マクシミリアンは銃殺されてしまいます。気の毒ですよね。

 ナポレオン3世がカヴールと密約を結んだことを知っているプロイセンのビスマルクは、ビアリッツで密談をして「ドイツの戦争には口を挟まんといてね」という約束を取り付け、オーストリアと戦争を始めます。プロイセンはオーストリアをぼこぼこにしてしまいます。オーストリアはドイツの領地を失ったので、ハンガリーと2重帝国をつくります。

 この年、ロシアはお金が欲しくて、アラスカをアメリカに売ってしまいます。アラスカは後で金鉱が発見されますから、めちゃアメリカは得をしました。今ロシアがアラスカを持っていたら、えらいことですよね。