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ナポレオン3世との「密約」で始まったイタリアの統一

 ナポレオン3世は、前述したように、皇帝政と社会主義が両立すると考えていた人ですが、不動産銀行をつくり、鉄道を敷き、パリを美しくしようと思ってオスマンという人を抜てきしてパリの大改造を始めます。それまでのパリは昔からのぐちゃぐちゃしたところでした。オスマンは広場をつくって、大きな道を通しました。今のパリの美しさはこのオスマンの時代に全部骨格ができあがっています。皆さんがパリに行って、きれいなところだな思うのはすべて、ナポレオン3世とオスマンのおかげです。

 ナポレオン3世はお祭りも大好きでしたから。何度もパリで万博を開催します。そこでフランスワインを高く売り付けてお金もうけをしようと考えます。高く売り付けるためにこれは1級だ、2級だとランク付けしたら何も知らない金持ちは喜んで1級を買うだろうと考えて、格付けを始めました。これが、フランスワインの格付けの始まりです。結構、商売熱心な皇帝ですね。

 また、スエズ運河を開削するために、スエズ運河会社を1858年につくります。ところで、当時サヴォイア家のサルデーニャ王国にカヴールという賢い総理大臣がいました。彼はナポレオン3世の趣味を調べ上げ、ある貴族の女性を呼んで「お金をたくさんあげるから、パリの社交界に遊びにいかないか。それで何か分かったら時々連絡してね」と説得して、パリに送り出します。

 案の定ナポレオン3世はすぐに彼女を好きになって、ガールフレンドの一員に加えてしまいます。だからナポレオン3世の情報はカヴールに筒抜けになるわけです。そこで2人は「ニースを渡すからイタリア独立戦争の邪魔をしないでね」という密約を結びます。そこでカヴールは安心してイタリア統一戦争を仕掛けてオーストリアをやっつけるのです。

 ところが、ナポレオン3世は、カヴールがあまりに早く動いてミラノがある北イタリアのロンバルディアを占領してしまったので、オーストリアと単独和平してしまいます。カヴールははしごを外されたわけです。カヴールは激怒しますが、ロンバルディアだけでとりあえず我慢し、北イタリアは1859年に統一されました。

 この年はダーウィンの『種の起源』が出版された年です。ここで初めて神様が人間をつくったのではないという進化論が日の目を見ました。カヴールは北イタリアを統一してとりあえず矛を収めたのですが、ガリバルディという若者が勝手にシチリアに上陸して、ついでにナポリも征服して、南イタリアをサルデーニャ国王に献上します。住民投票を行ったら、中部イタリアもサルデーニャ王国に編入されることを望んたので、イタリアはナポレオン3世の思惑を離れて統一されてしまいます。

 ドイツではヴィルヘルム1世が即位して、ビスマルクが首相になります。このときにイタリア王国が誕生しているのですが、これまでイタリアの歴史を説明したときに、ローマ教皇は領土を持っているのでイタリアの統一にいつも反対してきたという話をしました。同じような国が5つぐらいあるのがローマ教皇にとって一番都合がいい。ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマ、ナポリ。同じぐらいの大きさだったら、自分は教皇として宗教上の権威を持っているので、一番威張ることができます。しかしイタリアが統一されたら、教皇領は真ん中にありますからサンドイッチのように挟まれて、大きい顔はできなくなります。だからローマ教皇はイタリアの統一には今までずっと反対してきたのです。

 でも北イタリアも南イタリアも中部イタリアもすべてイタリア王国になってしまった。そこで、当時のピウス9世という頑固な教皇は、民主主義も民族自決も自由もすべてよくないという「シラブス」という文書を出してバチカン宮殿に引きこもってしまいます。要するに自由とか平等とか友愛というナポレオンの伝染病がすべての元凶で、「民族自決とか、自由・平等とかそんなものはとんでもない。みんな間違っている」というわけです。世界は神様がつくったんだと勝手に宣言して、自らをバチカンの囚人として本当に引きこもってどこにも出なくなってしまいました。困ったものですよね。ピウス9世は引きこもりの元祖です。