全19019文字

ナポレオンの「自由、平等、友愛」が伝染し「ヨーロッパ革命」へ

 ヨーロッパではナポレオンの自由、平等、友愛という「はしか」の影響が残っていて、ギリシャが独立宣言をします。これには、イングランドの詩人バイロンやフランスの画家ドラクロワが助けに行っています。オスマン朝は反対しますが、「ナヴォリの海戦」でオスマン朝とエジプトとの海軍に対してイングランドやフランス、ロシアの連合艦隊が勝利を収め、ギリシャが独立します。

 1830年、フランスでは「7月革命」が起こり、反動的なブルボン家が追われオルレアン家出身で“市民王”といわれたルイ・フィリップに王位が移ります。ショパンの『革命のエチュード』の時代ですよね。

 自由、平等、友愛というはしかはめちゃ強力なので、イタリアでは青年イタリアという独立運動を唱える結社ができたほか、ドイツは関税同盟ができてプロイセンがリーダーとなり統一国家を目指すようになります。ケープ植民地ではネーデルラントの人々が血と汗で築いてきたケープタウンがイングランドに取られてしまったので、ボーア人と呼ばれたネーデルラントの入植者の子孫たちは奥地へ奥地へと大キャラバンで移動します。グレート・トレックです。

 奥地にはズールー王国という先住民の王国がありましたが、「血の川の戦い」などをへてズールー王国を滅ぼし、オレンジ自由国とトランスヴァール共和国という2つの共和国をつくってイングランドのくびきから自由になります。イングランドの家来になるよりも、奥地に行って自分たちの国をつくる方を選んだわけですね。そのイングランドでは、ヴィクトリア女王が即位します。

 1848年にはマルクスの共産党宣言が出ていますが、1848年にフランスで「2月革命」が起こって、ただちに広がりオーストリアやベルリンでは「3月革命」が起こります。これが「ヨーロッパ革命」といわれる1848年の革命です。

 この革命でフランスの王政が最終的に終焉(しゅうえん)を迎えたので、この1848年をもってフランス革命が最終的に完成したのです。これ以降フランスは第2帝政を除いてずっと共和政を維持しています。ですからこの1848年によってネーションステート、国民国家が確立したと考える学者もいます。第2共和政となり、世界で初めて男子による普通選挙が行われました。

 ナポレオンの一族はどうなったかというと、ネーデルラントの国王になったナポレオンの弟の子どもにルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)という人がいました。この人は夢想家で、何回もフランスでクーデターを起こそうとしては逮捕されていました。ルイ・ナポレオンは不思議な人で、サンシモンが唱えた社会主義を信じ、同時にナポレオンの一族なので、皇帝政を信じていました。皇帝政と社会主義は矛盾するのに、本人は平気だったんですね。また異常なほどの女性好きでした。

 ルイ・ナポレオンはフランスを追われてロンドンで亡命生活をおくっていましたが、第2共和政になって初めて普通選挙が行われることになったので、ロンドンから戻ってきて大統領選に立候補します。そして、選ばれてしまうのです。ナポレオンの名前ですよね。やはりフランス国民も、偉大なナポレオン1世のことを忘れてはいなかったのです。その後、ルイ・ナポレオンはクーデターを起こして、第2帝政が始まります。ナポレオン3世の登場です。

 1848年のヨーロッパ革命で、ヨーロッパ中がもう一度燃え上がり、ハンガリーではコシュートという人が独立宣言を行います。オーストリアのフランツ・ヨーゼフという皇帝は、ロシアに頼んで、ロシア軍を引き入れてハンガリーを鎮圧しています。こういう事例を見ると、東ヨーロッパにソ連軍が入ってきて、ハンガリー動乱とかチェコのプラハの春を圧殺したのは、先例があったということが分かります。これが1848年革命のヨーロッパです。