新聞がフランス革命を勝利に導き「国民国家」が誕生する

 フランスは財政赤字が税収の9倍になっていました。日本の税収は約60兆円、9倍と言えば540兆円。日本の借金は1000兆円を超えていますから、この時代だったら日本でも革命が起こっていたかもしれませんね。

 フランスでは、特権階級である貴族やお坊さんは税金を払わなくてもよかったのです。でも、借金が増えてどうしようもなくなったので、特権階級にも課税しようとルイ16世は3部会を開きます。第1身分(聖職者)が14万人、第2身分(貴族)が40万人、第3身分(平民)が2600万人ですが、この第2身分である貴族の中にも第3身分の平民の中にもアメリカで戦って、「自由」「平等」という“はしか”にかかった人がたくさんいました。

 その結果、議会を開いて別々に審議するはずが、みんなが合流してフランス革命が始まるわけです。だから、もともとは税金から革命が起こったという意味では、アメリカもフランスも一緒です。しかも伝播(でんぱ)するわけですから、はしかがアメリカからパリに飛び火して、自由、平等、友愛のフランス革命が始まりました。

 革命が始まってどんどん過激化し、ついにルイ16世が処刑されます。そうなると、ヨーロッパの国はどこも君主制ですから、イングランドもスペインもオーストリアもプロイセンもロシアも「フランス革命をつぶさなあかん」と思うわけです。「王様を殺すような政府などとんでもない。放っておいたら、自分たちの国に飛び火するかもしれない。こんな過激なフランス政府はつぶして、亡命中のブルボン家の王族を元に戻さないといけない」と考えて、ヨーロッパ中の国がフランスに攻め入ります。

 そうなると、フランスは大変しんどい局面になります。政府の主が次々と入れ替わり、様々な過激なことが起こりました。でも、大ざっぱにいうと、最後にナポレオンが出てきます。

 フランス革命が何で起こったかといえば、1つは新聞であり印刷です。フランス革命のありとあらゆる派閥は新聞をがんがん発行して、政敵を攻撃していたのです。ナポレオンも新聞を使います。「英仏百年戦争でブルゴーニュ公家と結んだヘンリー5世がパリを占拠して、北フランスを全部イングランドとブルゴーニュ連合軍が占拠して、フランスは南半分に追いやられ、まさに滅びようとしたとき、地方の田舎からジャンヌ・ダルクという乙女が現れて、フランスを救ったことがあったよね」ということを新聞で書き始めます。

 それまでジャンヌ・ダルクの存在を知っていたフランス人はほとんどいませんでした。ナポレオンは、「ジャンヌ・ダルクという田舎から来た無名の乙女によってフランスは救われた。フランス人はいざというときは頑張ったら何でもできるんだ」ということを新聞で書きまくります。

 言いたいことはとてもよく分かりますよね。「ネーションステート(国民国家)」が誕生したのです。ここで初めて、フランスという国家とフランス人という概念が生まれたのです。それまでフランスの人は誰も自分のことを「フランス人」とは思っていませんでした。自分はブルゴーニュ人だとか、自分はオルレアンの生まれだとか、自分はプロヴァンス人だと思っていたのです。

 ナポレオンは新聞を使って、フランス人よ、立ち上がれと、あおりにあおりまくります。するとフランスの人々は「そうか、今、大変な危機のときに、コルシカという田舎から現れた若者が国を救おうと必死に呼び掛けているんだ」と思うわけです。つまり、ナポレオンはジャンヌ・ダルクに自分自身のイメージを投影させたのです。

 これによってフランスは強くなるのです。「俺たちはフランス国民だ」と、フランスを守ろうということになるわけです。これが国民国家の誕生です。

 これに対してヨーロッパ列強の軍隊は全部傭兵(ようへい)ですよね。お金で雇われた兵隊です。しかも、それを率いているのは王様です。王様の兵隊ですよね。でも、フランスは国民兵です。この国民兵の力でやがてナポレオンはヨーロッパを席巻するのです。

 要するに近代国家は、イングランドの産業革命とフランス革命によってつくられました。それが、現在に至るまでの近代国家のベースになっているわけです。日本はおろかな鎖国をしていたので、この2つの大きい流れに乗り遅れました。産業革命も国民国家も乗り遅れたことが、日本の衰退の始まりです。

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