マリア・テレジアの執念が起こした「外交革命」

 結局8年間も戦争したのに何も変わらず、骨折り損のくたびれもうけで、現状を追認することになります。それが1748年のアーヘンの和約です。ところが、プロイセンがシレジアを領有し続けることにマリア・テレジアは激怒します。「8年頑張って、自分の領土は全部守ったけれど、シレジアは取られたまま。第一、私を女と見くびって、即位のときに侵入してきたフリードリヒ2世は金輪際、許すものか」というわけです。

 そして、「もともとこうなったのはフランスがいつもハプスブルク家に盾突くからで、フランスと同盟を結んだら、プロイセンはいちころじゃないか」と考えました。そこでカウニッツという宰相を使って、凡庸なルイ15世に近づきます。

 ルイ15世はガールフレンド、ポンパドゥール夫人の言いなりになっていました。それでカウニッツを介してマリア・テレジアはポンパドゥール夫人に「女の私を見くびって突然攻めてきた卑怯(ひきょう)な男をあなたは許せますか」と訴えます。夫人は「ひどい男ね。きちんとルイ15世に伝えておくわ。私はうちの王様を手のひらの上で転がせるから」と応えます。ちょうど、フランスもイングランドに近づくプロイセンに不信感を抱き始めていたころでした。

 それで両国はベルサイユ条約を結び、フランス・オーストリア同盟をが成立します。これは外交革命といわれました。オーストリアとフランスという不俱戴天の敵が結び付いたわけですから、ヨーロッパ中が仰天したのです。その同盟の帰結として、マリー・アントワネットはフランス王家に嫁ぐことになったのです。

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