「分割して統治せよ」というイングランドのしたたかな戦略

 この頃、中国は乾隆帝の時代です。乾隆帝はぜいたくを極めた皇帝でお金も山ほどありました。6回も中国各地を大名旅行で回ります。その道中、「何かうまいものが食べたいな」というわけです。そうしたら、忖度(そんたく)する人も山ほどいたので、「満漢全席」という満洲族と漢族のよりすぐったごちそうを全て集めるという中国のごちそうの原点がここで完成します。

 そのときは、世界中から珍しいものを探すのですが、ラッキーだったのが日本です。干しアワビなどの俵物を長崎から輸出することができたからです。フカヒレもそうです。満漢全席が誕生した背景には、乾隆帝のぜいたく三昧と、金山、銀山が枯渇して外国に売るものがなくなった日本の事情があったのです。

 1757年に中国は広東を開港し、1759年には新疆ウイグルを領土にして、人口が2億人を突破します。

 7年戦争でインドからフランスを追い出したイングランドは、東インド会社を介してどんどんインドを攻めていきます。1767年、マイソールという国と南インドを争って戦端を開きます。この戦争は4回もやっています。その次、1775年にはデカン高原をめぐって、マラーター同盟と戦端を開く。これも3回やりました。イングランドがインドを領土にしていくプロセスを見ると、1回の戦争ではなくどれも3回、4回と争っています。

 なぜかというと、武器は圧倒的にイングランドの方が上で、近代的な大砲がありますから、ちょっと戦争をやると最初は勝ちます。でも相手も必死に抵抗する。しかも、兵隊の数が多い。だから、ちょっと勝ったところで、まず1次戦争をやめるんですよ。そうしたら相手の方は負けたわけですから誰の責任かなどと、中で争い始めます。だいたい何でも負けたら誰かの責任を追及するでしょう。仕事でも失敗したら大変ですよね。お前が悪いんだとか、誰が悪いんだとか、責任を追及されます。

 仲間割れが生じたら、イングランドは弱い方に肩入れするんです。そしてまた戦争を始める。それで勝つとまたやめて、相手が仲間割れを起こしたら、弱い方に肩入れして、最後は全部やっつけてしまう。ずるいというか、賢いというか。全力を挙げたら1回で勝てるかもしれないけれど、こちらにも大きな被害が出るから、ちょっとたたいたらすぐにやめて被害を最小限に抑え、敵が仲間割れを起こしたときに、またちょっかいを出す。そういうことを何回か繰り返して、最終的に相手を全部滅ぼしていくのです。

 「分割して統治せよ」という言葉を聞いたことがあると思いますが、イングランドのお家芸で、めっちゃうまいんですね。だから、何回も戦争をやります。

 中国は1790年に、人口が3億人を超えます。これは申告を隠していただけではなくて、16世紀後半に南アメリカからトウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモなどがたくさん入ってきたので人口が増えた。つまり、南米のおかげ、コロン(コロンブス)交換のおかげですよね。

 1793年にはイングランドのマカートニーという使節が乾隆帝に接見して、「交易をもっとさせてください。広東だけではお茶も絹も十分に手に入りません」と誓願した有名な会見が行われているのですが、このときに乾隆帝は「会ってやるだけでも感謝しろ。中国には山ほどお前たちが欲しいものはあるが、お前たちの国で中国が欲しいものが何かあるか? 何もないだろう。そんな国が対等の立場で貿易したいなんて、バカも休み休み言え」と言って追い返しているわけですね。だから、この時期に至っても、まだそれぐらい中国とヨーロッパの間には格差があったということだと思います。

 乾隆帝もルイ14世と一緒で、長い統治の間に堕落していきました。乾隆帝が死んだ後、側近の和珅(へしぇん)という、かわいがられた茶坊主が失脚しますが、彼の家を調べたら国庫10年分ほどの個人資産を蓄えていたといわれます。いかにひどいことをしていたかですけれど、金額が桁外れでしょう。中国のわいろがすごいといっても、昔の伝統に比べれば大したことはないのかもしれませんね。

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