イングランドの産業革命はインドがきっかけだった

 次は産業革命に移ります。イングランドはネーデルラントとの争いの結果、モルッカ諸島など東南アジアをあきらめて、インドで我慢しようと決めたということを前回、お話ししました。それで、インドを改めて詳しくチェックしてみたらかなりのお金持ちだったのです。インドは中国とヨーロッパの交易の中間地ですから、インドに寄稿した船は水や食料だけではなく服を買っていたわけです。だって海で仕事をしていたら服はずたずたになるでしょう。だからインドは綿織物で栄えていたのです。イングランドはそれを見て「綿織物はもうかるのか、うちも作ろう」と思ったわけです。

 ちょうどその頃、イングランドは木を切り倒してしまって、もう燃料にする木がほとんどなくなっていました。燃やすものがなかったら冬を越せませんから、石炭を掘り始めます。ところが、湿地帯なので、少し掘ったら水がたくさん出てくるので人手でくみ出していたのですが、みんながくたくたに疲れます。

 どうしようかと考えていたときに、ニューコメンという人が蒸気機関を発明したのです。蒸気機関の概念そのものは紀元前後、キリストが生まれたころのアレクサンドリアで生まれたとされています。ニューコメンはお湯を沸かしたときにふたが飛ぶ力を使ったら排水ポンプができるじゃないかと考えて、蒸気機関を作ったのですね。

 でも、それは水をくみ出すという上下運動ですね。その後、ワットいう人が1769年に上下のピストン運動から円運動に変えるような改良を行ったので、広く機械に使えるようになったわけです。これが産業革命のスタートで、綿織物が機械でつくれるようになりました。

18世紀の英国の産業革命(写真:ユニフォトプレス)
18世紀の英国の産業革命(写真:ユニフォトプレス)

 かわいそうなのはインドです。人力では機械に勝てるはずがないですよね。例えば、手で縫うよりもミシンの方が10倍以上速いでしょう。ですからインドの綿織物産業は衰退して、逆に綿織物の輸入国になります。そうなると、その輸入代金を払わなくてはなりません。それでお茶やアヘンなどの輸出作物を作れといわれるわけです。お金を稼ぐために、仕方なくそういうものにシフトすると、今度は米や麦といった食料生産にも事欠くようになり、それをまた輸入しなくてはならなくなります。

 だから、インドは産業革命によって両腕を切り落とされたともいわれいるのです。今までは食料もたくさん作れた。綿織物もたくさん作ってもうけていたのに、両方とも作れなくなって、イングランドの植民地になっていくわけです。かわいそうですが、歴史にはそんな事例もたくさんあるのです。

 産業革命も考えてみたら偶然ですよね。インドに着目した。木がなくなった。石炭を掘ったら水が出た。そんな偶然の積み重ねから産業革命が起こりました。でも、これで圧倒的にイングランドは強くなるわけですね。

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