オスマン朝、サファヴィー朝、ムガール朝……アジア3大帝国の落日

 アジアの3大帝国では、中国を除いた3つの帝国が落日を迎えます。まず、オスマン朝はアフメト3世の時代。先ほどお話ししたプルートの戦いでピョートル大帝を助けた優しい人です。チューリップ時代と呼ばれていますが、アフメト3世は花が大好きで、ネーデルラントからチューリップを輸入して街中を飾っていた楽しい時代でした(1703〜1730年)。衰退していく前の秋日和のような時代です。

 インドでは、狂信的な王様でヒンドゥー教徒を迫害していたアウラングゼーブが死去し(1707年)、その後は無理がたたってガタガタになります。

 中国の清は最盛期を迎えており、康熙帝(こうきてい)の軍がチベットの首都ラサに進軍して、チベット全土を領土にします。サファヴィー朝はアフガニスタンのマフムードが1722年、「世界の半分」といわれるほど栄えた首都イスファハーンを占領して略奪します。その結果、アジアの三大帝国の中ではまず、ペルシャのサファヴィー朝が脱落していきます。

 清では雍正帝(ようせいてい)という康熙帝の子供が即位。この人は中国の3大ワーカホリックといわれているほどめちゃくちゃまじめに仕事をした皇帝で、どんなに頑張ったかというと、奏摺(そうしゅう)といわれているのですが、約1200人の地方官と毎日メールをやり取りしていたのです。雍正帝は、地方の1200人の知事や市長から届く報告文書を全部読んで、朱を入れるのです。「これはあかん」「こんなことをしたら首やぞ」「これはよくやった」などと。だから、睡眠時間が3時間になったともいわれています。すごいですよね。それほど頑張った人です。

 中国ではこの頃、地丁銀制、つまり人頭税を廃止して、土地や資産をベースに銀で税金を納めるようになります。中国は陶磁器やお茶、絹を世界中に売って、その代金を銀で得ていたので銀がどんどんたまっていきました。そこで税金も全て、銀をベースにしようということになったわけです。

 人頭税を廃止すると、中国の人口が1億人から3億人に急増しました。人頭税だと人間の数で税金を払わないといけないから、みんな子どもなどの人数を隠していたわけですね。でも「もう人頭税ではなくて、土地や資産に課税されるのだったら正直に報告しよう」ということになり、人口が急増したわけです。税金というのは、いかに社会を変えるものかが分かりますね。

 ペルシャでは、アフシャール族という部族にナーディル・シャーという軍人がいました。この人がサファヴィー朝の皇帝を助けて、イスファハーンを奪還します(1729年)。でも、実力で自分が皇帝を担いで都を回復したわけですから、ちょうど織田信長が足利義昭を助けて京都に入ったような話です。信長は足利義昭をしばらくはケアしていますが、そのうちに面倒くさくなったら放逐していますよね。

 同じように、ナーディルは7年後にはサファヴィー朝を滅ぼしてアフシャール朝を開きます。この人は軍事の天才だったので、インドまで遠征してデリーを占領してしまいます。ムガール朝はペルシャ軍に都を奪われるほど衰退してしまったわけです。

 ナーディル・シャーは「最後の征服者」と呼ばれています。1747年、ナーディルが暗殺されると、彼の武将だったアフマド・シャー・ドッラーニーという将軍がアフガニスタンで自立してドッラーニー朝をつくります。

次ページ 「ポーランド継承戦争」が浮き彫りにしたヨーロッパの権力構図