ネーデルラントの衰退と世界初の中央銀行の誕生

 ロシアでは、ピョートル1世が1682年に即位します。後のピョートル大帝ですが、お兄さんのイヴァン5世と共同で国を統治していました。政治は異母姉のソフィアが摂政として実権を握っていました。

 イングランドではチャールズ2世が死去します。チャールズ2世の治世はほとんど議会が政治を行っていたので、チャールズ2世はガールフレンドと楽しく遊んでいました。でも不幸なことに結婚したキャサリンには子どもが生まれなかったので、弟が後を継ぐわけです。ニューヨークの語源になったヨーク公です。これがジェームズ2世で、この人はがちがちの王権神授説の信奉者でした。

 ちなみに、チャールズ2世はたくさんのガールフレンドに10人以上も子どもを産ませています。でも、その子どもたちは王位には就けないい。でも、かわいいガールフレンドの子どもたちですから、みんな貴族にします。現在イングランドにいる貴族の大半は、チャールズ2世のガールフレンドの一族だといわれるくらいです。皆さんが知っているところでは、故ダイアナ妃。ダイアナ妃はチャールズ2世とガールフレンドの間に生まれた子どもの血を引いているのです。

 フランスでは名君、アンリ4世が「ナントの勅令」(1598年)で宗教の自由を認めました。しかし、太陽王と称されたルイ14世はやりたい放題です。わがままな君主にありがちですが、「自分はローマ教会の信者だ、新教はあかん」と言ってナントの勅令を廃止(1685年)します。それによってユグノー(カルヴァン派)が逃げ出しました。

 カルヴァン派の人々は勤勉で優秀な人たちで、1つは銀行などの金融業や商業に従事していました。その人たちはロンドンに逃げました。もう1つは職人です。優秀な時計職人たちがいましたが、その機械工の人々はスイスに逃げました。そこからスイスの時計産業が有名になるのです。ルイ14世のおかげでスイスの幸運が始まるのです。

 イングランドではジェームズ2世があまりにも反動的だったため、しびれをきらした議会が追い払います。血が流れなかったので名誉革命(1688年)と呼ばれています。ジェームズ2世の長女のメアリーは、フランスとの戦いで名を挙げたネーデルラントの提督ウィレム3世と結婚していました。ジェームズ2世の後にウィレム3世夫妻がロンドンにやって来ます。妻のメアリーはジェームズ2世の長女なので国王になれますが、ウィレム3世はネーデルラントの提督でイングランド王家の血は一滴も流れていません。

 しかしここでウィレム3世はごねました。「妻をイングランドの国王にしてやるから、自分も王様にしてほしい」というわけです。妻のメアリーも「本当の国王は私なんだけれど、夫も国王になりたいと言っているから2人とも国王にしてくれないか」と。イングランドの議会は合理主義の固まりですから、別に1人でも2人でもいいと考えました。頑固なジェームズ2世を追い出せば後は議会の自由になるのだからそれでいい、ということでオーケーを出します。

 ウィレム3世は喜んでロンドンに来ますが、ウィレム3世の気持ちになってみてください。本当の国王は妻のメアリー2世です。自分は無理をいって王冠をもらったという気持ちがありますよね。するとどうなりますか。人気を取るためにロンドンで大盤振る舞いをして、「ウィリアム3世(英語読み)はいい国王だな」と思ってもらおうとするのです。そしてそのお金を自分が提督をやっているネーデルラントから持ってくる。同君連合ですからね。これによってネーデルラントは徐々に衰退していきます。

 つまり、分かりやすくいえば、金融商業の中心地アムステルダムで税金をがんがんかけて集めたお金をロンドンに持っていって配るわけです。すると、アムステルダムの商人や金融業者も、アムステルダムで税金を取られるのが嫌だから自然とロンドンへ移住するようになります。こうして名誉革命によって、ネーデルラントはどんどん衰退していくのです。

 そのときに「プファルツ戦争」が始まります。ルイ14世がドイツのプファルツも領土にしたいと思って攻めていくのですが、ここでイングランドがプファルツの側に立ちます。ウィリアム3世は火事場泥棒のルイ14世を憎んでいましたから。ここから英仏第2次百年戦争が始まります。

 フランスのやることは全部、イングランドが反対します。ところがウィリアム3世は婿養子ですから、イングランドの議会にルイ14世と戦争をするための増税をお願いする根性がない。婿養子が来たばかりで税金を取りますといったら、「お前何を考えているんだ。来たばかりじゃないか。身のほどを知れ」といわれそうでしょう。

 そこでウィリアム3世はネーデルラントでやっていたように、国債を発行して戦費を調達します。でもイングランド議会はしっかりしていますから、その国債をきちんと管理・償還できるようにイングランド銀行をつくりました。ここで初めて中央銀行が生まれたわけです。国債を管理することは中央銀行の本質的な役割ですからね。

 近代的な国債や中央銀行の制度は、このウィリアム3世のルイ14世に対する怨念から始まったプファルツ戦争がスタートになっているのです。

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