第3次英蘭戦争とイングランドの幸運のはじまり

 チャールズ2世はポルトガルのキャサリンと結婚します。キャサリンの持参金の中に、インドのボンベイという小さい島が入っていました。チャールズ2世は「こんな島をもらってもしょうがない。年貢も何も取れへんわ」ということで、イングランドの東インド会社に貸し付けます。東インド会社は小島をもらってさてどうしようかと考えていたときに、その対岸に港があるのでそれをゲットします。これがボンベイ(現ムンバイ)の発祥で、ここからイングランドはインドに橋頭堡(きょうとうほ)を築いていくのです。もともとはポルトガル王室からの持参金だったのです。

17世紀の東インド会社の船(写真:ユニフォトプレス)
17世紀の東インド会社の船(写真:ユニフォトプレス)

 イングランドは対ネーデルラントの方針についてはクロムウェルを引き継いで、第2次航海条例を出してまた英蘭戦争が起こります。17世紀はネーデルラントが世界の覇権国で、そこにイングランドが戦争を何度も仕掛けてネーデルラントの覇権を奪いにいった世紀でした。

 それで1672年、第3次英蘭戦争が起こるのですが、このときには第2次英蘭戦争でも大活躍したデ・ロイテル提督という山本五十六のような素晴らしい海軍大将がネーデルラントにいて、イングランド海軍を散々痛めつけます。イングランドは英蘭戦争を通じて、東南アジアをあきらめます。もともとイングランドが欲しかったのはモルッカ諸島であり、東南アジアの香辛料貿易でした。

 でも、3回も戦争を仕掛けたのにネーデルラントの東インド会社がつくりあげたインドネシアを中心とした権益圏を奪うことができなかった。これは「もうあかん」ということで東南アジアをあきらめて、ボンベイもあるということでインドに集中することにしました。これがイングランドの幸運の始まりになります。あきらめは大事だということですね。選択と集中です。

 この頃、フランスではマザランが死んでルイ14世の親政が始まっていました。ルイ14世はたんまりとお金を持っています。しかもマザランが死んで口うるさいことを言う人がいなくなったので、「イングランドに攻められているネーデルラントをこの機会に奪ってしまおう」と戦争を仕掛けます。ネーデルラントの提督ウィレム3世はフランス軍に対抗するために、水門を開いて国土を水浸しにします。フランス軍は攻めていったものの、前方一面は海です。「これはあかん」ということで和約します。

 ウィレム3世は第3次英蘭戦争の真っただ中で、必死の思いでイングランドと戦っていました。そんなときに突然背後から侵入してきたルイ14世に対しては金輪際許すものかと思うでしょう。ルイ14世はお金が有り余っていますから、「戦争も仕掛けるが宮殿も造らないとあかん」ということでベルサイユを造り始めるわけですね。これも全部、国庫を豊かにしたリシュリューとマザランのおかげです。

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