幻の「黒いタージ・マハル」とムガール朝の衰退

 インドでは、ムガール朝第5代のシャー・ジャハーンの時代(在位1627~58年)です。タージ・マハルを造ったシャー・ジャハーンには男子が何人かいたのですが、素直で優秀な長男を殺してイスラム教に凝り固まった狂信的なアウラングゼーブが1658年に即位します。

 実は、シャー・ジャハーンはタージ・マハルをもう1つ造るつもりでした。今あるのは愛妻であったムムターズ・マハルのもので、シャー・ジャハーンはその対岸にタージ・マハルとうり二つの真っ黒な大理石でできた黒いタージ・マハルを造るつもりだったのです。白と黒ですね。川を挟んで、死んだ後もいつでも愛妻とあいさつできるように、お金も資材も全部準備してあったのです。

 ところがアウラングゼーブがシャー・ジャハーンの長男の皇太子を殺して、シャー・ジャハーンも幽閉してしまう。「お父さんのお墓、第2タージ・マハルを造るために、お父さんがためていたお金は自分が全部もらう。このお金でヒンドゥー教徒を全部やっつけて、イスラム世界をつくるんだ。お父さんの棺桶(かんおけ)はタージ・マハルのお母さんの横に置いてあげる」というわけです。

 タージ・マハルに行くと、もともと設計されていませんから妻の棺桶が中央にあって、その横に小さい棺桶があります。シャー・ジャハーンの棺桶です。

 アウラングゼーブの名誉のために言っておけば、アウラングゼーブのお墓は実に質素です。四畳半ぐらい。だから「そんなお墓にお金を使うなんてアホやで」という考えは、首尾一貫していたと思うのです。

 そして異教徒に対して戦争を始めるのですが、これがムガール朝の命取りになるのです。アクバル以降、ムガール朝は「ジズヤ」という異教徒に対する人頭税を廃止して、みんなでインドをよくしていこうと話していました。ところがアウラングゼーブはジズヤは復活するし、「イスラム教徒でない人は二流市民だ」と述べて戦争を仕掛けたので、蓄えられた富が全部戦争に使われて、ここからムガール朝は下降線をたどり始めます。

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