ホンタイジによる大清グルンの成立と中国の再統一

 17世紀の中国では、満洲(現中国東北部)でヌルハチが清を建国し、後を継いだホンタイジが国号を大清グルンに変えます。ホンタイジはダヤン・カアンというチンギス・カアンの直系の人の子孫を正妃にして、そこで大元ウルスの玉璽(ぎょくじ)を贈られるわけです。大清グルンは盛期には4重帝国といわれていて、皇帝は1人なのですが、満洲族に対しては「俺が大将やで」、中国人に対しては「俺が皇帝やで」、モンゴル人に対しては「俺がチンギス・カアン以来のカアンやで」、チベットの人に対しては「俺がダライ・ラマの大旦那やで」、という形で権力を誇示しました。

 1636年、ホンタイジは朝鮮を服属させます。明とは戦争をしていたので物資が入ってきませんが、朝鮮は中国と交易を継続していたので、ホンタイジにとっては朝鮮が対中交易の生命線でした。満洲族は朝鮮を通じていろいろな物資を得ていたわけです。

 明は1644年、李自成によって滅ぼされます。清軍がなかなか中国へ入れなかったのは、呉三桂という明の大将軍が万里の長城の山海関を守っていたからです。呉三桂はかわいいガールフレンドを北京に残していました。戦争には連れて行けません。ところが李自成がそのガールフレンドを拉致してしまったといううわさを聞いたので、呉三桂は何を血迷ったか、山海関の門を開けて清軍と一緒に北京に直行するのです。そのときの皇帝はホンタイジの子どもの順治帝です。6歳で即位したので、実権は皇族の摂政ドルゴンが握っていました。

 人間ってアホな動物ですよね。たぶん呉三桂にとってはガールフレンドの方が大事だったのでしょう。うがった見方をすれば、もう明の命運は尽きたので、清と組んで恩を売って自分が王様になってやろうと思ったのだと思います。呉三桂のおかげで清軍は北京に簡単に入れました。北の要衝を守っていた明の将軍が一緒に北京に行きましょうというのですから、こんなに楽なことはないですね。

 この頃にチベットのポタラ宮が完成しています。オイラトのグーシハーンがダライ・ラマ5世を擁立し、チベットを取り込んでいます。この頃、清の皇帝は北京に入って中国を再統一した順治帝が亡くなって、8歳の康熙帝(こうきてい)が即位します。北京に入ったばかりで、国も荒れている大変なときに、8歳で皇帝が務まるのかという話になりますが、務まるのです。なぜかというと、ホンタイジの妃であるホルチン部出身の孝荘文皇后がにらみを利かせて、文句を言う人間を許さなかったからです。

 ホルチン部はモンゴル族です。モンゴルは女性が大変強い国ですし、チンギス・カアン一族の血を引いているのでめちゃくちゃ強い肝っ玉母さん。ですから、康熙帝の幼少期は肝っ玉母さんがびしっと押さえていて周囲は何も言えなかった。歴史を細かく見ていくと、表には出ませんが女性の力がとても強い。大変なときには女性がけっこう仕切っているということがよく分かりますよね。

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