新教徒の弾圧で勃発した「30年戦争」

 ハプスブルグ家ではフェルディナント2世がボヘミア王になります。ハプスブルグ家は名門ですが、客観的に見ると賢い君主が生まれない不思議な家系です。ボヘミアは、14世紀末から15世紀初頭に活躍した宗教改革者のフス以来、新教徒の根城です。フェルディナント2世はローマ教会を何よりも大事にしていましたから「新教はあかんで」と言い出したので、当然戦争になります。これが発端となり「30年戦争」(1618~48年)が始まります。最初はボヘミアとドイツの新教国プファルツとの戦争で、フェルディナント2世の皇帝軍が勝ちます。

 スコットランドからやってきた新しい君主、ステュアート朝ジェイムズ1世は王権神授説を信奉していました。「王権は絶対だ」という考えです。それでイングランドに住んでいたピューリタン、すなわちカルヴァン派のピルグリム・ファーザーズは「もうロンドンはあかん。反動政府やで。新天地を開こう」と決意し、1620年にアメリカに出発します。彼らは新しい土地に落ち着いてすぐに大学をつくり始めました。それが1636年にハーバード大学です。まず幹部の養成を、というわけです。

 ノルウェーで銀鉱山が発見され、デンマーク王兼ノルウェー王のクリスチャン4世が、「お金がたくさん入ったので領土を広げてやろう」と考えて1625年にドイツに侵入します。「ドイツの新教徒が困っているから俺が助けてやろう」ということを口実に、30年戦争に介入したのです。ハプスブルク家と戦っていた新教徒の協力を得ますが、結局うまくいきませんでした。これが30年戦争の第2幕です。

 その頃イングランドでは、チャールズ1世というさらに頭の固い王様が誕生します。ステュアート朝の2代目です。あまりに議会を無視するので、法律家のクックが中心となって、古来イギリスの臣民に認められてきた権利を守ることを求めた「権利の請願」を行いますが、これも無視されます。

 ヨーロッパ大陸の方では、今度はスウェーデンのグスタフ・アドルフという名君が「デンマークが負けてドイツの新教徒は弱っているじゃないか。ちょうど徴兵制を敷いて強い軍隊をつくったので、新教徒を助けてやろう」と、1630年にドイツに戦争を仕掛けます。第3幕です。スウェーデンは、軍隊は強いかもしれませんが人口も少なく、お金もそんなにあるようには見えない。ではなぜ、ドイツに戦争を仕掛けたのかというと、実はフランスが後押ししていたのです。

 当時、ルイ13世の信任を得てフランスの政権を握っていたのが『三銃士』で出てくるリシュリュー枢機卿です。リシュリューは冷徹な政治家です。本来、フランスはローマ教会に従っているのでハプスブルク家を支援しなければいけないところですが、国益を考えるとフランスの主敵はハプスブルク家であるとリシュリューは考えていました。フランスは、ハプスブルク家のスペインとドイツにサンドイッチにされているわけですからね。

 そのためスウェーデンがドイツに介入するのなら、これはいいチャンスだと資金を用意したのです。スウェーデンとフランスは皇帝群に圧勝します。ところが、グスタフ・アドルフは頑張りすぎてか、死してしまいます。

 残されたのは6歳のクリスティーナ女王。スウェーデンはがたがたになるかと思ったらオクセンシェルナという名宰相がドイツの新教諸侯と同盟を結で、国内を掌握しびくともしませんでした。それでスウェーデン戦争はあと5年続くことになります。

 ローマはガリレオの時代です。ウルバヌス8世という教皇がベルニーニという有名な建築家を使ってローマを美しく飾り立てます。バチカンの広場には素晴らしい列柱がありますが、あれはベルニーニが造ったものです。ウルバヌス8世は新教徒であるカルヴァン派やルター派と戦っていました。そのため、「やはりローマはローマ教会の総本山。きれいでかっこよくなかったら人は感動しない。ローマは反宗教改革のショーウインドーであるべきだからお金をかけて立派にしよう。来た人みんなが『すごい町だ、これでは教えもきっと立派に違いない』と思うような町にしよう」と考えたわけです。

 人間ってそんな単純な生き物ですよね。美しい建物を見たらきっと住んでいるのは立派な人だろう、などと思ってしまう。ですから今のローマの美しい町の骨格は、ウルバヌス8世がつくったと考えてもいいのです。

 1635年、ドイツがだいぶ弱ってきたところで、今度はフランスが戦争を仕掛けます。もちろん冷徹な政治家、リシュリューが主導したのです。第4幕で、これによって30年戦争が大国同士の争いになります。

 要するに、30年戦争は、ハプスブルク家のフェルディナント2世という愚かな皇帝が、ルター派やカルヴァン派を弾圧したことが、もともとの始まりでした。最初はプファルツ選帝侯というドイツの新教側の親分とけんかをします。これは退けたのですが、その後デンマークやスウェーデン、そしてフランスが次々と「ハプスブルク家が弱っているから絶好の機会だ」と考えてドイツに攻め入ったことから戦争が長く続いたのです。

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