立命館アジア太平洋大学(APU)の出口治明学長の世界史講座。第7回は17 世紀の世界。ヨーロッパでは新教徒とローマ教会の激しい対立に乗じて各国が火事場泥棒的に勢力拡大を画策し、各地で長期にわたって戦争が続く。ネーデルラント(オランダ)が衰退する一方、インドの小さな島、ボンベイ(ムンバイ)を得たイングランド(英国)の幸運が始まり、世界初の中央銀行が誕生する。中国は大清グルンが中国を再統一し、インドではムガール帝国が衰退に向かう。
■目次
- 外交権と軍事権を持つネーデルラントの東インド会社
- 新教徒の弾圧で勃発した「30年戦争」
- 30年戦争の終結と三王国戦争(清教徒革命)
- ホンタイジによる大清グルンの成立と中国の再統一
- 幻の「黒いタージ・マハル」とムガール朝の衰退
- クロムウェルの航海条例と第1次英蘭戦争
- 第3次英蘭戦争とイングランドの幸運のはじまり
- ネーデルラントの衰退と世界初の中央銀行の誕生
- 「トラを素手で絞め殺した」康熙帝の時代に大清グルンは最盛期へ
※本ゼミナールは、「2019年度APU・大分合同新聞講座」を収録・編集したものです

1948年、三重県美杉村(現・津市)生まれ。1972年、京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年退職。同年、ネットライフ企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年、ライフネット生命保険株式会社に社名を変更。2012年上場。10年間社長、会長を務める。2018年1月より現職。(写真:山本 厳)
外交権と軍事権を持つネーデルラントの東インド会社
17世紀はどんな時代かというと、アジアの4大帝国の最盛期です。
1602年にネーデルラント(オランダ)が東インド会社をつくります。これは世界初の株式会社で、イングランドも東インド会社をつくったのですが、株式会社になるのはネーデルラントより少し後です。
この東インド会社は面白い特徴を持っています。それは株式会社であるだけではなく、軍事権と外交権を持っていることです。つまりネーデルラントは初めからモルッカ諸島のコショウをゲットしようと考えていたのです。
舞台のインドネシア(モルッカ諸島)はものすごく遠い。その当時、東南アジアである国と戦争しようと考えたときに、本国にお伺いを立てていたら相手から戦争を仕掛けられた場合、適切に対応できないので滅んでしまいますよね。だから株式会社でありながら国家と同じような外交権、軍事権を持つ会社をつくったのです。それが、ネーデルラントのすごいところです。イングランドもすぐにまねをしました。
イングランドではエリザベス女王が亡くなった後、スコットランドのジェイムズ1世が位を継ぎました。これは同君連合です。簡単にいうと、イングランドとスコットランドは別の国ですが、たまたま王が一緒だというものです。100年ほど同君連合をやった後、1707年に2国が統合してグレートブリテン王国になります。この2つの“国”には、このような深い歴史があります。
東インド会社は結局モルッカ諸島の香料貿易を1605年から約200年間、ほぼ独占することになります。ネーデルラントの東インド会社はインド洋でポルトガルを打ち破って以降、世界で一番もうかる貿易を独占することになるのです。
ネーデルラントはスペインから独立しようとほぼ100年間戦って、1609年に休戦条約を結び、ここで事実上スペインから独立して自由になります。スペインの覇権はネーデルラントに移りました。だからヨーロッパでは17世紀はネーデルラントの世紀なのです。
フランスではブルボン朝を開いたアンリ4世が暗殺されて、その子どものルイ13世が9歳で即位しますが、9歳の子どもに政治ができるわけではありません。そこで実母でメディチ家から入った2人目の王妃マリー・ド・メディシスが摂政として7年ほど、フランスの政権を握ります。
ロシアでは、ポーランドにモスクワを占領された前世紀末からがたがたが続いていました。その中でミハイル・ロマノフが王位に就き、ロマノフ朝が始まります。ミハイル・ロマノフは病弱で精神的にも幼いところがあったので、やり手のお父さんが「息子は言うことを聞くだろう」と亡命先のポーランドから戻って、政治に口を出すようになります。
ネーデルラントでは、ジーゲン侯ヨハンが陸軍士官学校をつくります。それまでは傭兵(ようへい)が中心でしたが、自分で軍隊を持とうと思ったら軍を統率する幹部が必要です。これが近代的な陸軍の始まりになります。
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