ローマ帝国の滅亡とハプスブルク家が「結婚」でつかんだ幸運

 この頃のイタリアのフィレンツェでは、政敵に一度はフィレンツェを追われたメディチ家の当主コジモが帰ってきて、独裁を始めます。当時のイタリアにはミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、教皇領、ナポリ王国という5つの大国があったのですが、フィレンツェのコジモはほかの4大国を「互いの戦争はやめよう」とうまく言いくるめます。これが1454年の有名な「ローディの和」です。

 何でこの年かというと、前年にオスマン朝がコンスタンティノープルを攻略して、ローマ帝国が滅んでいるからです。そして、100年戦争は結局フランスの勝利で終わり、イングランドはカレーのみを残して大陸の領土は全て失いました。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り11182文字 / 全文16607文字

【春割/2カ月無料】お申し込みで

人気コラム、特集記事…すべて読み放題

ウェビナー・音声コンテンツを視聴可能

バックナンバー11年分が読み放題

この記事はシリーズ「出口治明の「5000年史」講座」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。