中産階級の育成と富国強兵策

 宋はお金で平和をあがなったわけですが、その宋に第6代神宗の時代に王安石という素晴らしい天才政治家が現れます。中国では素晴らしい宰相が何人も生まれていますが、王安石はその中でも誰よりも傑出した能力を持っていたと思います。

 なぜならば、王安石の考えた全ての政策が整合的で何一つ矛盾がない。大きい国の政策をこれほど矛盾なく次から次へと考えられる人はそういないと思います。

 王安石がやろうとしたことは中産階級の育成です。人間は自由競争をさせたら、金もうけが上手な人と苦手な人がいるわけですから、必ず社会は二極化してしまいます。それをきちんと税金を集めて、上手に再分配していくことによって、中産階級が生まれて社会が安定します。

 王安石はまさに中産階級を育成するという明確な目標の下、富国強兵策を採り、科挙を改正しました。それまで上手な詩を作れる人が偉かったのですが、「そんなもの詩文だけでは政府の役に立たへんで。経済とか法律が大事やで」と、儒教の教科書をほとんど全部自分で書き換えます。国家公務員になる人はその教科書で勉強するわけですから、国家公務員はみんな王安石の考えに染まっていきます。

 また、中国には天と地に上位の神様がいて、そのほかにもたくさん神様がいるという発想があります。しかし、山ほどいる神様をお祭りすることは経費の無駄使いになりますよね。だから、小さい政府がいいということで、礼政を改革し、天と地を祭るだけにしてしまいます。

 中国はこうして世界に先駆けて富国強兵策を採ろうになっていこうとするのですが、そこで天候不順が起きたり、王安石に反対する大商人や大豪族が足を引っ張ったり、いろいろな問題が起こります。中産階級を育てる政策は、大商人や大豪族を押さえることになりますからね。そういう人々が第6代神宗のお母さんにがんがんプレゼンをして、「王安石の改革を続けたら大変なことになりますよ」と言うので、お母さんの意志を受けた神宗がついに王安石を首にするのです。

 それが新法、旧法の争いという形になります。旧法党の大将が司馬光という人です。でも、旧法には何のイデオロギーも政策もありません。改革に反対というだけの話です。これによって中国は大発展の機会を失うことになったわけです。しかし王安石が考えた政策は、後にヨーロッパではコルベールがルイ14世の下で重商主義として行うことになります。それよりも何百年も早く中国でこういう人が生まれていたということ自体が、驚きですね。

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