<span class="fontBold">白井 一幸(しらい・かずゆき)</span><br>駒澤大学卒業後、1983年ドラフト1位で日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)入団。91年リーグ打率3位、最高出塁率を記録。現役引退後は米ヤンキースでのコーチ留学を経て、日本ハムの二軍監督、一軍ヘッドコーチなどを務め、リーグ優勝2回、日本一2回を獲得。17年に退団後は、野球解説のほか企業研修などにも活動の場を広げる(写真:菊池一郎)
白井 一幸(しらい・かずゆき)
駒澤大学卒業後、1983年ドラフト1位で日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)入団。91年リーグ打率3位、最高出塁率を記録。現役引退後は米ヤンキースでのコーチ留学を経て、日本ハムの二軍監督、一軍ヘッドコーチなどを務め、リーグ優勝2回、日本一2回を獲得。17年に退団後は、野球解説のほか企業研修などにも活動の場を広げる(写真:菊池一郎)

 北海道日本ハムファイターズに「ビッグボス」こと、新庄剛志監督が就任しました。新庄と同じチームになったのは、私がファイターズで1軍ヘッドコーチをしていた2004年のことです。彼が米国のメジャーから移籍してくるという一報が入ったとき、コーチ室は騒然としました。

 一番多かったのは「扱いづらそうだな」という声でした。私は選手を「扱う」ことなんてできないという信念があったので、みんなに言いました。

 「新庄を扱うことができるのは猛獣使いくらいだよ(笑)。でも、そもそも選手を扱う必要があるの。まして新庄だよ。チームとしてやるべきことは守ってもらうけれど、それ以外は彼が力を発揮できるよう、僕らが協力するほうが大事なんじゃないですか」

 新庄にも「やりたいことを全部やっていいぞ」と話すと、笑いながら「打撃も守備も若い選手の手本になるように頑張ります。手を抜かず、全力で一塁まで走ります」。その宣言通り、開幕からチームをリードしてくれました。

 でも当初、打撃の調子が上がらなかった。ある日「右手の握力が強過ぎるのか、打つ瞬間にこねてしまうんです」と相談されました。「それならアッパースイングを試してみたらどうだい。キャッチャーフライを打つくらいの気持ちでアッパーに打てば、右手の強さが生きるかもよ」。

 翌日。打撃練習が始まると新庄はキャッチャーフライをバンバン打ちまくった(笑)。「キャッチャーフライを打つくらいアッパースイングで」と教えても、普通は「打つくらいの気持ち」でとどめますが、新庄は違いました。

 「白井さん、これでいいんですよね!」「……うん、そんな感じだ」。周りにいたコーチや選手は固まっていましたが、新庄はその日の試合で3本ヒットを打ち、それを境に復調していきました。教えたことを驚くくらい素直に実践する。その素直さがすごい。

 以来、2人で夕食を共にしながら、彼の相談に何度か乗りました。野球界では、先輩が同席した後輩の分まで食事代を払うのが慣習です。当時、新庄の年俸の10分の1ももらっていなかったけれど、いつも私が払いました。