「経営とはどういうものか、これから見せてやる」

 そんな声が耳に入ったのかどうか、稲盛は塾長例会でこう話した。

 「私は3つの大義のために全身全霊をかけてJALを再建する。1つ目は日本経済への影響。2つ目はJALの従業員を守るため。3つ目は健全な競争を維持し、国民へのサービスを守るため。経営とはどういうものか、これから見せてやるから、よう見ておけ」

 盛和塾で学ぶ経営者は8000人を突破した。普段、「経営はかくあるべし」と説いている稲盛が、8000人が凝視する前で自ら手本を示す。師匠として、失敗したら言い訳が立たないのは、稲盛自身が一番分かっていたはずだ。「そこまでしてくれる経営者が他にいますか。その覚悟だけでも素晴らしいのに、短期間でJALをV字回復させた。もうね、ハハーッてひれ伏すしかない。神様です」。大畑はそうまくし立てた。

「経営者とは何か」を説き続けた稲盛和夫氏 (写真:菅野勝男)
「経営者とは何か」を説き続けた稲盛和夫氏 (写真:菅野勝男)

 大畑が「追っかけ」になったのは1995年ごろだ。

 松江市の高校を出た大畑は車のガラス販売会社に入社した。だが、しばらくすると会社の経営状態がおかしくなる。米子営業所で責任者を務めていた大畑は、親しくつき合っていたガラスメーカーの担当者から、「応援するから、米子地区で独立しないか」と持ちかけられる。こうして80年にダックスを創業した。

 当時の業界はガラスメーカーごとに系列の販売店があり、競争がほとんどなかった。「黙って口を開けていたら仕事にありつけた」という商売は、すぐに軌道に乗った。

 ただ人の問題では苦労した。できたばかりの会社で、仕事は肉体労働。スーツ姿で面接を受けに来る人は皆無だった。だらしない格好をしていたり、いかにも暴走族上がりの風貌だったり。中にはミラーボールの反射光のように七色に髪を染めた若者もやってきた。

 努力したことがないので、「もっと仕事を頑張れ」と先輩にしかられても、頑張り方が分からない。大畑曰く「学力、スキル、向上心のすべてがない」。思うような人材を採用できず、定着率も悪い。辞めては採用、辞めては採用を繰り返した。

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