中堅造船会社のサノヤスホールディングスは11月初め、中核子会社のサノヤス造船を同業に売却することを決めた。本業を売却してどうするのか。実はこのサノヤスの動きに、菅義偉首相が掲げる「中小企業の効率化、生産性向上」を実現するヒントが隠れている。

独自経営でサノヤスを再生している上田社長(写真/大下美紀)
独自経営でサノヤスを再生している上田社長(写真/大下美紀)

 サノヤスホールディングスという中堅造船会社が11月初め、文字通り中核子会社のサノヤス造船を同業の新来島どっく(東京・千代田)に売却することを決めた。

 約110年に及ぶ祖業から撤退し、残るのは工事用エレベーター、化粧品の乳化装置に、動力制御盤、遊園地の遊戯機械の製造まで、業種も製品(サービス)もバラバラな事業ばかり。失礼ながら真ん中にいた大魚がいなくなった後に、雑多な小魚が泳ぐ図を思い浮かべる人もいるのではないか。

 だが、菅義偉首相が掲げる「中小企業の効率化・生産性向上」への道筋の1つは案外ここに隠れているように思える。どういうことなのか。まず同社の歴史からひもといてみよう。

何度も逆風に見舞われる

 サノヤスの歩みは日本の経済史の一断面といっていい。言うまでもなく造船は、1950年代半ばから70年代初めまでの高度成長期の基幹産業だった。サノヤスもその波に乗って成長したが、73年の第1次石油危機でタンカーをはじめとした世界の船舶需要が急縮小し、その波をもろにかぶった。81年には債務超過に陥り、一時は経営危機に追い込まれた。この時に取り組み始めたのが多角化。船の溶接技術を生かし、大型のタンク製造に乗り出したのだ。

 その後、船舶需要は次第に回復したが、85年のプラザ合意をきっかけにした超円高で業界はまた痛撃を食らった。日本の新造船建造量は88年には75年当時の約4分の1にまで縮小したのである。この時、動き出したのがM&A(合併・買収)による多角化だった。

 90年に工事用エレベーターなどのメーカーである菱野金属工業(現サノヤス・エンジニアリング)を、翌年には観覧車などの製造と、その運営を手がけていた明昌特殊産業(現サノヤス・ライド)を買収・合併したのだ。

 このM&Aを推進したのは当時の太田黒尚雄社長だ。およそ造船と関係のない事業に手を伸ばしたのは儲かる上に、ニッチな分野だからといわれる。わざわざ合併までしたのは「当時は単独決算の時代だったから」(上田孝・現社長)だ。不振の造船事業を抱えながら決算を良くするには、それしかなかったわけだが、多角化路線は思わぬ形で再び効果を表す。2000年代に入り、豪州で受注した大型観覧車で完成後に不具合が見つかり、累計で120億円の損失を出す。13年3月期売上高の約20%に当たる大損である。

 それでも会社が持ちこたえたのは、「1990年代後半から世界の造船需要が大きく伸びて、当社もそれに乗った」(同)からだ。けん引したのは、中国の急速な経済成長であり、グローバル化の進展による海運需要の拡大である。

 ところが、その順風満帆に突然強烈な逆風が吹き始めたのが08年秋のリーマン・ショックだった。既に韓国、中国が造船産業を大拡張していたこともあり、世界的に設備が過剰になっていたところに需要が急縮小したことで、造船業界は再び苦境に陥ったのである。

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