新型コロナは人々の暮らし方を変えるきっかけになるかもしれません。山万の事業にはどんな影響をもたらしますか。

:私たちが追い求めてきた街づくりのタイムテーブルが、前倒しになると考えています。

 2015年に国連がSDGs(持続可能な開発目標)を発表したとき、「我が意を得たり」の思いがありました。17の目標の11番目が「住み続けられるまちづくりを」だからです。それは、私たちが50年前から取り組んできたことですが、コロナ後に加速するでしょう。

 ユーカリが丘を開発し始めた当初、私たちのビジネスは全く理解されませんでした。長期の時間軸で捉える街づくりは、株式会社としては極めて非合理的な考え方だからです。短期間で最大利益をあげようと思えば、50年もかけて街をつくるなんてアホです。

 しかし近年、欧米などでは営利目的の株式会社も地域や社会の課題を解決することが求められるようになっています。私たちは50年前からそれを先取りし、経営のあり方も、永続する街づくりのために変化させてきました。

「経営のあり方」とは、目先の収益や効率を捨て、例えば年間200戸までしか住宅を売らないことなどですね。持続可能な都市という考え方自体は以前から存在していましたが、多くの住宅会社が効率優先の経営をしてきました。関東でいえば、東急グループなどはエリア開発に熱心ではありますが。

:東急さんは「田園都市」を掲げ、沿線を美しく開発してきました。ただ個人的な意見ですが、それは「住宅団地」であり、「街」ではなかった。ハードだけでなく、自治会や商店会などのソフト面も整って初めて、本当の意味で住み続けられる街になると思うのです。

 東急さんだけでなく、日本のデベロッパーの大半が、高度経済成長を前提とした街づくりをしてきました。誤解を恐れず言えば、都市部に通うための住宅団地を供給してきたにすぎません。高度成長期はそれでもよかったのです。その戦略を否定はしません。

 当社では社長の嶋田哲夫の考え方もあり、開発当初からユーカリが丘にサステナブルな3万人の街をつくると決めていました。当時、3万人が市としての最小行政単位だったからです。ではなぜ、街づくりにこだわったのか。

 当社はもともと、1951年に設立した大阪の繊維問屋だったのですが、嶋田が東京支店長として赴任したときに繊維業に限界を感じ、新規事業として不動産業を始めました。そして1965年、神奈川県横須賀市に「湘南ハイランド」というおよそ3300戸、約1万人の宅地を開発したのです。

 無事に完売したものの、すべて戸建てで短期間に売り切ったため、いずれ一斉に高齢化が訪れることは明白でした。けれど当社は分譲したら、それで終わる。若い世帯の流入を図ることもなく、高齢者施設をつくるわけでもない。果たして、これで街をつくったと言えるのかと猛省し、その思いをユーカリが丘に注いだのです。

山万の歴史
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