今日は、朝からうち(京セラ)の隼人工場の創立35周年記念式典に出ていて、そこでも言ったのですが、京セラという会社はもともと、稲盛和夫が開発したファインセラミックスという新しい技術を世間に問う場としてつくってもらったものです。当時は京都セラミックと言いましたが、稲盛和夫が開発したファインセラミックスの技術を世間に問う場、もしくは道具として会社を位置づけて始まったわけです。

京セラの経営理念を定めたきっかけ

 そして、「今はできたばかりの会社でうまくいっていないけれど、きっとこの会社を立派にし、皆さんを幸せにしてあげるから、頑張ってついてきてくれ」と言って、みんなを引っ張り、従えていきました。みんなを引っ張っていくためには、説得をしなきゃならん。しかし、そういう説得をしていく中で、新しく採用した人たちが、できたばっかりの会社だからこそ、不安で不安でたまらんと言い始めたんです。

(写真/アフロ)
(写真/アフロ)

 「本年暮れのボーナスはいくらくれるんですか。来春の昇給は何%してくれるんですか。来年夏のボーナスはいくらなんですか。我々は、これだけの昇給、これだけのボーナスをもらいたい。それも来年のことだけじゃなく、再来年もその翌年も、ミニマムこのくらいというものを保証してもらわないと困る。保証してくれないようなら、我々は辞めたい」。辞めると言ったのは、1人じゃありません。一緒に入った高卒9人全員が一緒に辞めたいと言う。労働組合の団体交渉みたいなものです。

 私は当時、京都・嵯峨野の広沢池のほとりにあった市営住宅に住んでおりました。二間しかない市営住宅でしたが、そこに保証してくれと言った連中を連れていって、三日三晩説得をしました。

 「君たちが保証せいと言ったって、保証はできやせん。会社ができて、まだ本当にその日暮らしなんだから。一生懸命頑張って、きっと会社を立派にし、君たちを幸せにしてあげるから、それを信じてくれ」

 「そんなことじゃあ困ります。保証をしてくれ、約束をしてくれ」

 「約束できるわけがないではないか。私自身、会社がどこまでどういくのか分からないのに、約束できるわけがないではないか。だから、保証はしないけれど、僕を信じてついてきてほしい。信じられないというなら、じゃあ、だまされる勇気を持てよ。一度、だまされてみたらどうか。1年、2年たって、私が本当にだます男だったら、そのときに辞めても遅くはないはずだ。君らは高校を出たばっかりなんだから、遅くないだろう。だます男かだまさん男か、試してみないか。だまされる勇気はないか」

 結局、みんな残ってくれたのですが、そのときに私は、京セラという会社を稲盛和夫が開発したファインセラミックスの技術を世間に問う場と位置づけたことを、「しまった」と思ったんです。そして、現在の日本における終身雇用制の中では、中に住む従業員を守っていくことが会社の目的なんだなと、気がついたわけです。

 しかし、どう考えてみても釈然としない。当時、私の両親、弟、妹は鹿児島におりました。その親兄弟に、私はサラリーマンのときから、わずかではありますが仕送りをしておりました。「兄ちゃんが京都に行って就職すれば、弟も妹も少しは楽をさせられるぞ」というので、仕送りをしていたわけです。また両親は、戦後、あのインフレの中で苦労して我々を育ててくれました。その両親にも楽してもらおうと思っていたのですが、何もしてあげられていない私、自分の親兄弟も楽にしてあげられない私が、昨日まで赤の他人だった人を、採用したばかりに、その人の一生の生活の面倒を見なければならなくなったわけです。

 株式会社というのはこんなものか。家族を面倒見て、余ったお金で面倒見させてもらうなら話は別だが、郷里におる両親の面倒も見られない俺が、何で今まで知りもせんかった人を、雇ったばかりに、その一生の生活の面倒を見なきゃならんのや。何という矛盾か。しかし、終身雇用制だと思えば、しようがない。

 そこで私は、この会社は私の技術を世に問うための場としてつくったという技術屋のロマンを潔く捨てて、京セラという会社の目的を「全従業員の物心両面の幸福(しあわせ)を追求する」と変えたのです。不満足ながら、そう変えたわけです。心からそう思ってしたわけじゃありません。

 しかし、「全従業員の物心両面の幸福を追求する」だけでは、誠にむなしい。俺の一生は、採用した中学卒業のぼんさん、高卒のぼんさんたちの一生の経済的面倒を見ることだけで終わるのかと思ったら、儚(はかな)い思いがしてきたんですね。それで、同時に「人類、社会の進歩発展に貢献する」と入れたわけです。従業員を幸せにしてあげたら、せめてその次は、人類、社会の進歩発展に貢献しようという。ただし、これも心から信じて書いたんじゃありません。あくまでも付け足しであったわけです。

 技術屋としてのロマンをなくし、失意の中で決めた会社経営の目的ではありましたが、そう決めた以上、後は振り向かずに一生懸命それに向かって努力しました。

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