<span class="fontBold">野島廣司(のじま・ひろし)</span><br>1951年生まれ。73年中央大学卒業後、父母が興した野島電気商会(現ノジマ)に入社。94年社長就任。同年、株式店頭登録。2016年東証一部に市場変更。20年3月期の売上高は5239億円。神奈川県を中心にデジタル家電、携帯電話などの販売店を約250店展開。携帯電話販売のアイ・ティー・エックス、インターネット接続サービスのニフティの買収でも注目を集めた。19年にはスルガ銀行の筆頭株主になった(写真/菊池一郎)
野島廣司(のじま・ひろし)
1951年生まれ。73年中央大学卒業後、父母が興した野島電気商会(現ノジマ)に入社。94年社長就任。同年、株式店頭登録。2016年東証一部に市場変更。20年3月期の売上高は5239億円。神奈川県を中心にデジタル家電、携帯電話などの販売店を約250店展開。携帯電話販売のアイ・ティー・エックス、インターネット接続サービスのニフティの買収でも注目を集めた。19年にはスルガ銀行の筆頭株主になった(写真/菊池一郎)

Q. 母や弟と対立したとき、従業員は自分に付いてくると思っていたら、裏切られた。原因は何だったのか。

A. 従業員を「使う」という発想を持っていたから

創業当時の野島電気商会
創業当時の野島電気商会

 約30年前の1991年、私は従業員に裏切られました。

 家電販売店のノジマは当時、神奈川県を地盤にハイペースで売り上げを伸ばしていました。73年に大学を卒業し、母が代表を務める家業に入ったとき、私のほかはパートさんを含め従業員が3人。そんな零細企業を大きくしたのは自分だという自負がありました。

 会社の売上高は200億円近くになっていましたが、私の肩書は課長。これは私の希望です。慕っていた大手電機メーカーの課長が1000億円を稼いでいた。だから私も会社の売り上げが1000億円を超えたら、部長か役員になろうと決めていたのです。

 ところが、社長である母は私に何の相談もなく、突然、組織改編を発表しました。私を専務に、弟を常務にするというものでした。

 この事実だけを見れば単なる昇格人事のようですが、実際は弟の下に全部門を置き、私の権限を奪うことが母の狙いでした。

ふてくされて、遊ぶ

 母や弟とは、基本的な考え方が全然合いませんでした。会社は家業の延長でいいという母に対して、私は会社は公器であるべきという考えを持っていました。接客スタッフは相談員として、コンサルティング力を志向する私に対し、弟はできるだけ接客しない店が好きなようでした。

 母は弟と結託して、私を追い出そうとしたのでしょう。昔から母は、弟のことをかわいがっていました。私と弟は8歳も離れている。世の母親も大抵、下の子のほうをかわいがるものです。歴史的にも、織田信長のお母さんも、伊達政宗のお母さんも、弟のほうに付いています。それはもう仕方ない。

 ただ、ノジマを大きくしたのは私の力であり、肩書は課長でも実質的には私が社長として社内外で動いていました。だから、母と弟がどう出ようが、私が育て上げた従業員はみんな、私に付いてきてくれると思っていた。

 けれど、従業員の直属の上司は弟。私は蚊帳の外です。古参の従業員も組織改編を支持しました。従業員は私を信頼して付いてきてくれているというのは完全な思い違いでした。会社が伸びているから付いてきただけだったのでしょう。正直寂しかったですよ。おまえたち、なんで俺の言うことを聞かないんだ、と。

 それでもう、完全にふてくされちゃったんです。40歳手前の頃です。会社に行かなくなり、家で本ばかり読んでいました。たまに会社に行っても、適当に時間を潰すだけで会議にも出席しません。すぐに遊びに出かけました。

 良かったことといえば、人を見る目が養われたことでしょうか。干されていても、離れる人ばかりではなく、それまで通り付き合ってくれる人がいました。

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