価格競争の下請け生産から自己ブランドへの転換を果たした山形県寒河江市の佐藤繊維。独自技術とデザインの紡績糸とニット製品を海外にも展開する。ものづくりの文化を絶やさないため、山形からの発信にも取り組む。

<span class="fontBold">佐藤正樹(さとう・まさき)</span><br />1966年、山形県寒河江市生まれ。文化服装学院を卒業後、アパレルメーカーに勤務。92年に山形に戻り、佐藤繊維に入社。2005年に社長就任(写真:向田幸二)
佐藤正樹(さとう・まさき)
1966年、山形県寒河江市生まれ。文化服装学院を卒業後、アパレルメーカーに勤務。92年に山形に戻り、佐藤繊維に入社。2005年に社長就任(写真:向田幸二)

世界でも佐藤繊維しか作れない糸、ひと目で佐藤繊維と分かる個性豊かなニット。高い独自性を追求したものづくりをどのように実現してきたのでしょうか。

佐藤:当社は1932年創業で、私で4代目です。もともと私は東京でファッションの勉強をしていましたが、30年前に山形に戻ってきて佐藤繊維に入社しました。その頃は大手アパレルなどの下請けが主でした。当時、山形に450社ものニット工場がありました。今はわずか17社です。

 洋服のビジネスが生まれたのは欧州で、以来日本は洋服の文化も、糸や生地の作り方もすべて欧州を追いかけてきています。

 当時、イタリアで作られた最高級のウールの糸を欧州のトップブランドが採用して作った製品がものすごく売れていました。それを見た日本の大手アパレルが、同じ糸を使って最高級のニットを協力工場に生産させ、これもよく売れた。すると国内の他メーカーもまねをして同じようなものを作る。そのうちどんどん価格競争になり、中小の下請けはもっと安く作れという話ばかりになりました。

 その少し後に、イタリアに行く機会があって、あるニット工場を見に行きました。そこは、市場は小さいけれど独創的な糸を自分たちで改造した機械で作り、世界中のデザイナーがその糸を使って新しいファッションを生み出していたのです。「ファッションのもとを作っているんだ」という彼らのプライドに衝撃を受けました。

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