
Q.創業者が若くして亡くなった後の混乱をどのようにして防ぎ、いかに会社を成長させ続けたのか
A.創業者の鉄則は守りつつ、組織化を進めた
なぜ私が41歳で社長になったのか。それは私が一番、この会社で失敗の多い人物だからなのでしょう。1999年に副社長に就任したときに創業者で当時社長だった石橋博良さんからは「次の社長はお前だ」と言われました。石橋さんのつくった会社ですから、当初は「本当かな」と半信半疑でしたが、2006年に私は社長に就任し、石橋さんは会長となりました。
私も月並みな人間ですから、就任当初は肩に力が入ったものです。そんなとき、石橋さんがこんな言葉をかけてくれました。「俺はアジアで気象リテラシーを高める活動に専念したい。だから君はビジネスを通じたリテラシーの向上に集中してくれ」と。それで肩の力が抜けました。会長が使命を果たせるように仕事を奪ってやろう、と。
「おまえは石橋ではない」とも話してくれました。つまり、創業者のカリスマ性に頼ったスターシステムではなく、組織的に会社を運営すればいいと。そんな社長職にも理解が深まりつつあった時、突然、石橋さんが、がんに侵され余命が3カ月しかないと医師に告げられました。08年秋のことです。
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