『嫌われる勇気』の著者で、哲学者の岸見一郎氏がリーダーのあり方を説く連載の第56回。今回は「見えない権威」がテーマ。皆がよしとしている考え、常識的な考え方に従っているだけで、理性を使って自分では考えない「ひと」になっていませんか。

 我の強い、他者の意見に耳を傾けることなく、いうべきことは嫌われてでもいわなければならないというリーダーがいればまわりは辟易しますが、他方、いつも他者の顔色を窺(うかが)い、自分の考えを持たないリーダーもいます。

 そのようなリーダーは自分では何一つ決断しようとしません。なぜ決断しないのか。ドイツの社会心理学者のフロムは、次のようにいっています。

「デカルトは、個人としての私の存在を、私が考えるという事実から推論した。彼は論じた。『我疑う。ゆえに我思う。我思う。ゆえに我あり』と。

 この逆も真である。もしも私が私であり、私が『それ』の中で私の個性を失っていなければ、私は考えることができる、つまり、私の理性を使うことができる」(The Sane Society)

 考えるから「私」はあるが、反対に私が「私」であれば理性を使って考えることができるのです。

 問題は、私が「私」ではなく、「それ」の中で一般的な「ひと」(man)でしかないことです。フロムが「それ」というのは、常識や世論のことですが、社内風土も「それ」です。

 自分で考えていると思っている人でも、実は皆がよしとしている考え、常識的な考え方に従っているだけで、大半の人があえて異を唱えたりはしません。そのため、「それ」の中に埋没して個性を失い、理性を使って自分では考えない「ひと」になってしまっているのです。

 ナチスによるユダヤ人虐殺の責任者であるアドルフ・アイヒマンは、非合理的な権威を持った圧倒的な力やカリスマ性のあるリーダーにコントロールされ判断能力を失ってしまいました。

 目に見える権威であれば、権威者のいうことがおかしい、間違っていると思ったら、その人に従わないと決めることができます。そうすることが可能であればということですが。

 しかし、「それ」、つまり、常識も世論も社内風土も、アイヒマンの場合と違って、目には見えません。それにもかかわらず、権威となって人を規制することになりますが、見えないものに異を唱えることは容易ではありません。

 社内風土についていえば、それが自発的、能動的に働くことを促すものであれば企業にとって有用ですが、風通しが悪く保守的で、進取の気性に富む人が歓迎されないような風土であれば、権威は桎梏(しっこく)になります。

 それでも、権威が見えないと自分が服従していることに気づきにくく、誰も命令せず、従うことを強いることはないので、服従しているのではなく、自発的に従っていると思うようになります。

 リーダーまでがその権威、見えない「それ」の中で重要な決定をしないことがあります。決定に伴う責任を取りたくないからです。リーダーがそのようであれば、部下も進んでは何かをしようとしなくなります。

 現状維持に安住せず、リーダーが見えない権威を可視化するために何か新しいことに挑戦する勇気を持ってほしいと思います。

岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の西洋古代哲学と並行して、アドラー心理学を研究。『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(ともにダイヤモンド社)、『ほめるのをやめよう』(日経BP)など著書多数

(この記事は、「日経トップリーダー」2022年10月号の記事を基に構成しました)

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上司であることに自信がないあなただから、
よきリーダーになれる。そのために―

◎ 叱るのをやめよう
◎ ほめるのをやめよう
◎ 部下を勇気づけよう

『嫌われる勇気』の岸見一郎が放つ、脱カリスマのリーダーシップ論

ほぼ日社長・糸井重里氏、推薦。
「リーダー論でおちこみたくなかった。
おちこむ必要はなかったようだ」

●本文より―

◎ リーダーと部下は「対等」であり、リーダーは「力」で部下を率いるのではなく「言葉」によって協力関係を築くことを目指します。

◎ リーダーシップはリーダーと部下との対人関係として成立するのですから、天才であったりカリスマであったりすることは必要ではなく、むしろ民主的なリーダーシップには妨げになるといっていいくらいです。

◎ 率直に言って、民主的なリーダーになるためには時間と手間暇がかかります。しかし、努力は必ず報われます。

◎ 「悪い」リーダーは存在しません。部下との対人関係をどう築けばいいか知らない「下手な」リーダーがいるだけです。

◎ 自分は果たしてリーダーとして適格なのか、よきリーダーであるためにはどうすればいいかを考え抜くことが必要なのです。

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