

著者 : エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ
訳者 : 山上浩嗣
出版社 : ちくま学芸文庫
価格 : 1320円(10%税込み)
今回紹介するのは、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシの著した『自発的隷従論』という1冊です。16世紀フランスの評定官(裁判官)であったラ・ボエシは、その名が広く知られているとは言い難い人物です。しかし、同時代を代表する哲学者であったモンテーニュの親友であり、彼の代表的著作である『エセー』に登場する人物でもあります。
この書はその刺激的な題名が示唆する通り、1人の人間に権力が集中したとき、そのヒエラルキーの中で、いかに人間が自発的に自らの手足に鎖を掛け、その支配体制維持のために働き隷従するのか……。という構造を詳(つまび)らかにしたエッセーです。
時代背景を整理すると、ラ・ボエシが生きたのは、以前ご紹介した『寛容論』のヴォルテールが登場する少し前、一般的にはルネサンス期と呼ばれる時代です。その頃の欧州は諸侯の割拠によって細分化が進み、封建的な圧政により住民が苦しむ例も多く見られるなど、社会矛盾が蓄積していた時期でした。
他方、イタリア商人らによる中東やアジア諸国との交易は、技術・知識の伝来を促し、欧州の自然科学を進歩させました。これらが促進した合理的思考の広がりは、無謬(むびゅう)が前提とされた神の権威を独占する教会と、教会と結びつき専制的な統治をする政治的支配体制に対し、少しずつ人々が懐疑の目を向け始める契機となります。ラ・ボエシが生きたのは、人々が既存社会の在り方に懐疑の目を向け、変革を志向し始めた時期でした。
彼が本書で投げかけるのは、圧政者は突き詰めればただ1人であるにもかかわらず、なぜ圧政が可能なのかという、単純な疑問です。多くの人々が悪政に苦しんでいるのであれば、その人数を武器に、圧政者を取り除けばいいはずです。
もちろん、現実として人が他者に隷従する統治構造は頑強な基盤を持っています。しかし一方で、「人間は、自然には自由を望むはずだ」という直感は、常に正しく感じられます。私も読者も、まっさらな状態に置かれて「他人の指図を積極的に受け隷従したい」とは思わないはずです。それでも私たちは往々にして、隷属の連鎖のような統治構造を成すのはなぜでしょうか。
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