8月24日、京セラ創業者の稲盛和夫氏が亡くなった。 「経営12カ条」「六つの精進」「アメーバ経営」……。稲盛氏が経営にもがく中でつくり上げたその哲学体系は単なる経営にまつわる技法の領域をはるかに超え、日々の決断に悩む経営者の心の拠りどころとなっている。稲盛氏が遺したものの重みをあらためて見つめ直す。

(写真/菅野勝男)
(写真/菅野勝男)

・熱狂的「追っかけ」経営者が語る稲盛和夫の魅力

・「あいつはプロやな」と言ってくれた カメラマンが見た稲盛和夫

・心を起点に自分と会社を変革 盛和塾で経営者たちは生まれ変わった

稲盛氏が自らの後半生をかけて取り組んだのが中小企業経営者を育てる盛和塾だった。同氏のフィロソフィを学び尽くすことで経営者たちはどう変わっていったのか。3人の経営者の体験と共に稲盛思想を探究していこう。

塾長例会の講義が終わると、参加した中小企業経営者たちと酒を酌み交わすコンパに。稲盛氏はこの場をとても大事にした(写真/森清市氏提供)
塾長例会の講義が終わると、参加した中小企業経営者たちと酒を酌み交わすコンパに。稲盛氏はこの場をとても大事にした(写真/森清市氏提供)

 「君はお父さんの経験があったからこそ(社長として)やってこられたのじゃないのか!」。岡山市の医療用品メーカー、ダイヤ工業の松尾浩紀代表は、こう一喝されて緊張した。稲盛氏を助けて京セラの創業に加わり、のちに社長・会長を務めた伊藤謙介氏が2019年秋に岡山で中小企業経営者を集めて開いた勉強会でのことだ。

 伊藤氏は同じ岡山県出身者で、親しみも抱いていた。そんなこともあって、勉強会の後、伊藤氏から声をかけられると、思わず〝愚痴〟が漏れた。「オヤジが僕のやり方を分かってくれないんですよ」。それを怒鳴りつけられたのだ。

 松尾代表は1年半前の18年春に父の正男氏(現・会長)の後を継いだばかりだった。やる気満々に主力の骨盤ベルトなどを増産し、一気に売り上げを伸ばそうとした。ところが、うまくいかず在庫が膨らむばかり。見かねた父がアドバイスをしようとすると反発心のほうが湧いてしまったという。

 実は松尾代表は16年春から、稲盛氏を塾長に、その経営哲学を学ぶ盛和塾に入り、同氏にもじかに接していた。「稲盛さんの本も好きでずっと読んでいたので経営者の心構えを学ぶチャンスだと思って盛和塾に入れていただいたのです。でも十分分かっていなかった」。松尾代表は伊藤氏に怒られ、稲盛氏の思想を理解していない自分に気づかされ、愕然(がくぜん)とした。

 盛和塾は、1983年に稲盛氏が京都の若い経営者たちに求められたのをきっかけに始まった。「心を高め、会社の業績を伸ばして従業員を幸せにすることが経営者の使命である」とする稲盛氏の経営哲学を学ぶ会である。以後、2019年末まで36年余りにわたって各地に広がって続いた。閉塾時には、国内で56塾、海外48塾、塾生は約1万5000人に上った。

 松尾代表にも思いはあった。ダイヤ工業は、全国の接骨院などで使う腰痛ベルトなどの設計・製造や、院内業務をサポートするソフト開発、さらに湿布など汎用品の卸を柱に成長してきた。父の正男氏の代にワンストップで接骨院の要望に応える事業構造をつくり上げてきたが、松尾代表が就任した頃、そのシェアが伸び悩み始めていたのだ。

 松尾代表は大学卒業後、強烈な営業力で知られるOA機器などの販売会社、フォーバルで営業員としてがむしゃらに働いた。06年にダイヤ工業に戻ってからも営業を中心に業績を上げてきただけに、自らの力で反転攻勢に出ようと気負い込みたくなったのだろう。そこに落とし穴があった。

次ページ 社員と定めたフィロソフィ