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自動車向けの内装品を手がけるメーカーとして、成長してきた。しかし、メキシコへの進出が失敗し、多額の損失を抱えて撤退。供給先メーカーの不振、新型コロナの影響などで資金が底を突いた。

萬松の本社が入居している東京・新宿のビル

 大手メーカーとの取引を盤石にして成長を続ける。こうした中小企業の典型的なビジネスモデルを志向してきた自動車内装品メーカーの萬松(東京・新宿)は4月28日、東京地方裁判所に自己破産を申し立てた。負債総額は21億2600万円だった。

 萬松は1958年、現在の社長である松下博氏の父・萬正氏が工業用塗料の販売で創業した。その後、74年に埼玉工場、77年には大分に九州工場を設立して自動車内装品塗装に進出。自動車用の灰皿や小物入れといった内装品の成型・塗装などを手がけた。

 94年にはフィリピンに進出。主要供給先であるカンセイ(現マレリ)と取引のある企業とともに、フィリピンに集団で進出した。成型品の生産が主力で、製品を日本に逆輸入して生産コストの削減を狙った。その後も生産能力の強化をするなど進出は成功した。

 これらによりリーマン・ショックが起きる直前の2008年4月期に萬松の売上高は50億円を超えていた。

 一時は、携帯電話(フィーチャーフォン)やデジタルカメラ部品の塗装なども柱だった。しかし、2000年代後半からのスマートフォンの台頭やデジタルカメラの市場縮小で売上高は激減。直近10年ほどで売上高は10分の1程度になり、自動車内装品への依存を高める形になった。直近の売上高の内訳は、内装部品の成型・塗装や塗装設備の販売が約6割、塗料の販売が約4割だった。

転機となるメキシコ進出

 11年にはメキシコにも進出。射出成型のみのフィリピンと違い、射出成型と塗装も現地で手がけた。メキシコに工場を持つ萬松の主要取引先(自動車部品メーカー)との取引を期待していたという。

 しかし、思わぬ事態に直面した。日本とは異なる現地の乾燥した気候などが原因で不良が多発。さらに外注していた金型の不良などで生産効率が上がらずに赤字を重ねた。納期に間に合わせるため、日本から塗料の空輸などを実施したことで損失が拡大した。

 日本から資金と人材をつぎ込んで急場をしのいだが、進出していた期間の累計では赤字。19年には現地企業に事業を売却し撤退した。メキシコ事業の損失は約3億9000万円に達している。