<span class="fontBold">藤尾益雄(ふじお・みつお)</span><br />1965年生まれ。兵庫県出身。89年、神明入社。2007年から現職。社長就任以降、米卸から事業領域を拡大。傘下の元気寿司の会長なども務める。20年3月期の連結ベースの売上高は2562億円(写真:太田未来子)
藤尾益雄(ふじお・みつお)
1965年生まれ。兵庫県出身。89年、神明入社。2007年から現職。社長就任以降、米卸から事業領域を拡大。傘下の元気寿司の会長なども務める。20年3月期の連結ベースの売上高は2562億円(写真:太田未来子)

Q. 社長就任3年目、激務が続く中、急性骨髄性白血病を発病。医師から5年生存率30%を宣告される。どう立ち向かったか。

A.30%もあれば勝てる、ありがたいと思った

 社長就任から3年目の2009年10月、私は急性骨髄性白血病になりました。44歳のときでした。当時、医師から「5年生存率は30%」と言われました。その数字に私はへこむどころか、むしろ勇気が湧いてきて、「病気に勝つ自信ができました。絶対に倒します」と宣言しました。

 そこから私の戦いが始まりました。どうコイツをやっつけるか。1つは、仕事を続けること。それがモチベーションになるし、仕事をしないと焦りや孤独感が増すと思ったからです。入院中はベッドの上が執務室でした。一度、病室で取締役会を開いたら、先生からそれは怒られました。

 もう1つ心がけたのは、食べることです。元気になるために、吐こうが何をしようが無理やり食べていたら、半年後の退院時に体重が10キロ増えていました。

 そんな患者は初めてだったようで、先生から「どうしたらそういう発想になるのか」と聞かれました。「先生、神明は今でこそ大きくなったが、私が入社した頃は小さな会社だった。勝率ゼロの戦いに何度も挑み、勝ってきたから今がある。だから(5年生存率)30%もあればありがたいのだ」と私は答えました。

ぬるま湯に浸かっていた

 振り返れば、これまでいくつも試練がありました。1995年に米や麦などの食糧の価格や供給を政府が管理する「食糧管理制度」が廃止されたことはその1つです。業界に激震が走りました。

 従来は兵庫県の米卸ならば兵庫県内でしか販売できませんでした。しかし、新たな制度では届け出さえすれば、全国で米が売れるようになったのです。

 それまで食管制度に守られていました。他の地域に進出できない代わりに、他社に攻めてこられることもなかった。そんなぬるま湯に浸かっていたら、いきなり競争環境に放り込まれ、全国に販売網を広げることになったのです。

 拡大路線を進める中で、特に大阪での陣地争いは熾烈でした。大阪には業界一の米卸があったからです。売り上げは当社の約5倍、マンパワーでもこちらが90人、相手が600人と大きく差が開いていました。「神明が99%負ける」というもっぱらの評判でした。

 ただ、私は負ける気がしなかった。向こうがサラブレッドなら、こちらは雑草。私は祖父に新人時代からスパルタで鍛えられましたからね。言ってみれば桶狭間の戦いです。相手が油断したのでしょう。神明が大手量販店をすべて押さえ、勝利しました。

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