寝る前に振り返り 反省と感謝を

 また同時に、企業の繁栄を持続させるためには、経営者自身が「心を高める」努力を怠らないことが重要です。人は得てして、高邁(こうまい)な哲学や人間のあるべき姿などは一度学べば十分だと思い、繰り返し学ぼうとはしないものです。しかし、スポーツ選手が日々の鍛錬を怠ってはその肉体を維持できないように、心や人格も常に高めようと努力し続けなければすぐに元に戻ってしまいます。

 今日、私は企業を発展させるために経営者が持つべきフィロソフィをいくつか紹介しましたが、今この場では私の話を聞いて、「なるほど、自分もそのようなフィロソフィを実践するように心がけよう」と思っても、ひとたびこの場を離れてしまえば、往々にして忘れてしまうものです。人間というのは、そのくらいいい加減なものなのです。

(写真/菅野勝男)
(写真/菅野勝男)

 かくいう私自身も、決してフィロソフィの全項目を完璧に実践できているわけではありません。しかし、たとえ完璧に実践することができなくとも、日々フィロソフィを実践しようと努力し続けることが大切だと思うのです。

 それは、「人間としてこういう生き方をすべきなのだ」と理解し、少しでもそれに近づこうと懸命に生きている人と、そう思わずに漫然と生きている人では、人生や仕事の結果が全く異なってくるからです。言い換えれば、フィロソフィを体得できるかできないかではなく、そのようにありたいと願い、折に触れて反省し、何とか体得しようと努力し続けることこそが大切なのです。

 これは、仏教やキリスト教で説いている戒律と同じことです。仏や神から様々な戒めが説かれ、その戒律を守ることをお坊さんや信者は求められています。しかし、いかに宗教界の権威者であっても、仏や神が説く戒律のすべてを守ることはできていないはずです。人間である以上、守ろうと思ってもどうしても守れない。しかし、それでも守らなければならないと真剣に思い、事あるごとに教典や聖書をひもとき、反省する。そのような人とそうでない人とでは、人生や経営の結果は全く違ってくるのです。

 よくお話ししていることですが、私自身、若いときから、毎晩寝る前に、一日を振り返って反省するという習慣が身についています。一日を思い返してみて、自分の態度がいくらか傲慢であったことに気づくと、洗面所で家内にも聞こえるくらいの声で「神様ごめん」と言って反省します。また、逆によいことがあったときには、「神様ありがとう」と感謝の言葉も口をついて出てきます。

 最近では、「神様」の代わりに「お母さん」とつぶやくこともあります。それは、子供にとって母親とは、いつまでも天のどこかで見守ってくれている存在であり、子供のころに神仏に手を合わせてつぶやいたように、「お母さん、ごめん」「お母さん、ありがとう」と語りかけているのかもしれません。

 そのように、常に反省のある日々を送らなければなりません。日々反省をしつつ、フィロソフィを実践しようと懸命に努め続ける。その努力を通じて、少しでも自分の魂を磨き、心を高めていく。そのことが、フィロソフィの実践に最も大切なことだと、私は考えています。