印章(はんこ)の生産量日本一の町で、商品開発や市場開拓に取り組む。デジタル化で「脱はんこ」が進む中、革新的商品や用途を提示して新しいはんこ文化の産業化が必要と訴え、海外向けにも積極的に展開する。

原田 弘(はらだ・ひろし)
原田 弘(はらだ・ひろし)
1965年、山梨県生まれ。93年原田晶光堂に入社、2004年から現職。卸からBtoCに事業領域を広げ、海外向けECにも注力する(写真/廣瀬貴礼)

超合金(ステンレス)製の高級印章「現璽(げんじ)メタル」を開発、販売しています。これまで見たことのないような、インパクトがあるはんこですね。

原田:世の中は今、政府が進めるデジタル化施策などで「脱はんこ」が叫ばれています。後継者が少ない地場のはんこ産業にとって、さらに逆風が吹いているというのが現状です。そうした中、業界として「はんこの制度を残してほしい」という陳情や活動の他にも、やるべきことがあると思ってきました。

 業界や商品のイノベーションを起こし、新しいカルチャーや新しい用途を示して、消費者を味方にすることが必要だと考えています。「現璽メタル」もそれに向けた1つの形です。

はんこ業界では、IT化に対応して電子印鑑のソリューションに力を入れている企業もあります。

原田:電子印鑑の文化をつくるという取り組みは素晴らしいと思います。「非効率なはんこはなくせばいい」という声は多い。制度にとらわれたはんこはどう見ても先細りしていくでしょう。

 一方、もっと裾野を広げて考えれば、はんことはもともとロゴマークであり、使い手のアイデンティティーを表すもの。いろいろな楽しみ方ができるものです。はんこのカルチャーを含めて産業化を図ることができれば、そこに生き残りの鍵があると思います。

初期からネット活用

原田晶光堂は卸ですが、創業時は小売店だったそうですね。

原田:私の祖父である初代が、大阪ではんこと印刷の小売業を成功させました。しかし大阪の大空襲を受けて店が全焼してしまい、出身地である山梨に戻って、卸として再出発しました。

山梨県市川三郷町にある原田晶光堂の本社
山梨県市川三郷町にある原田晶光堂の本社

 当時はかばんに商材をいっぱい詰めて、静岡や長野まで取引先を回っていました。さらに二代目である父の時代、高度成長期からバブル期にかけては、はんこの需要は旺盛で、高額な商品もよく売れました。

 私は1993年の入社です。当時、当社が扱っていたのは実印や銀行印などが中心でしたが、もっとカジュアルなゴム印やスタンプの需要も大きいはずと考え、ゴム印の自社工場を造りました。まだインターネットの黎明(れいめい)期に、ゴム印の版下データをネットで受け取り、短納期で作成するサービスを始め、特許も取りました。

顧客である小売店をネットで支援していたこともあったそうですね。

原田:2000年代の前半、ネットにはんこの販売サイトがたくさん登場して、はんこの買い方が店頭からネット経由に変わっていった時期です。

 当社の主な顧客は路面のはんこ屋さんですが、消費者がネットで検索しても全く店名が出てこないところがありました。そこで、「印鑑 地域名」で検索すれば上の方に出てくる小売店のホームページを無料で作成したんです。その代わりに、年間で最低10万円は当社から仕入れてもらうという契約を結びました。

 手弁当で全国を飛び回り、3年間で三百数十店舗のホームページを作成しました。既存・新規を問わず顧客を1件1件訪ねたことは自分の宝になっています。

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