フィロソフィのベースは人間として何が正しいか

 では、立派な会社を経営していくためには、どのような哲学、考え方を持つべきなのでしょうか。今から、具体的な項目を挙げながら、経営者に求められる哲学、考え方について順に説明していきたいと思いますが、まずは、私の経営哲学が誕生した背景についてお話ししたいと思います。

 私は27歳で京セラを創業させていただきました。従業員28人のまだ小さな会社ではありましたが、創業するとすぐに決めなくてはならないことが山ほどありました。「これはどうしましょう」と次々に社員が相談に来ます。しかし、私はそれまでに経営の経験があるわけでもなく、経営の知識も持ち合わせていませんでした。また、親戚や知人に経営者がいたわけでもなく、相談できる人もいませんでした。

 それでも、経営者としてはそれらすべてに判断を下していかなくてはなりません。もし自分が判断を間違えれば、たちまちに会社は傾いてしまうのではないかと、心配で眠れない日々が続きました。経営者は孤独だという言葉を、私はしみじみかみしめました。

 そのときに、私の場合には、「人間として何が正しいのか」ということを判断基準にしました。それは、子供の頃に両親や学校の先生から教えてもらった「やっていいこと、悪いこと」という基本的な倫理観です。

 今考えてみれば、経営の経験のない私が、そのようなプリミティブな倫理観をベースにして経営を進めてきたことが、京セラを成長発展に導いたと思えるのです。もし、そうした明確な判断基準がなかったなら、また若干でも経営の経験や知識があれば、「儲かるか儲からないか」「損か得か」を判断基準にしていたでしょうし、一生懸命働くというよりは、うまく妥協したり根回ししたりする術を覚えて、少しでも楽をしようとしたでしょう。もし私がそのような姿勢で経営を続けていれば、決して現在の京セラの姿はなかったはずです。

 この「人間として正しいことを貫く」ということを経営の判断基準に定めたわけですが、同時に、そのような判断基準に基づいて、日々どのようにして経営や仕事に当たっていけばよいのか、その具体的な考え方と方法論を一生懸命に考えていきました。そしてそのような実践を通じ、経営や仕事のあるべき姿を考え続ける日々の中から、現在の京セラの企業哲学「京セラフィロソフィ」の原型のようなものを少しずつ編み出していきました。

 すでにこの盛和塾では、78項目にわたるそうした経営哲学を、私自身が詳細に解説してきたものが機関誌に掲載されており、2014年には、その内容をベースに、一般向けの書籍としても、サンマーク出版から『京セラフィロソフィ』のタイトルで発刊されています。それらすべての項目についてお話しすることはできませんので、本日はその中から、経営者に求められる代表的なフィロソフィについて、企業の発展プロセスに従って、いくつかお話ししていきたいと思います。

「誰にも負けない努力」は経営者の前提条件

 第一に、起業した経営者に求められるのは、「誰にも負けない努力をする」ということです。だいたい、事業を起こした人は、自分の事業を成功に導こうと、必死に働くものです。そうした心構えを持っていない人は、そもそも経営者にはふさわしくありませんし、経営者になってはなりません。本人にとっても、従業員にとっても、会社にとっても不幸なことです。つまり、「誰にも負けない努力をする」というフィロソフィは、経営者になるに当たっての前提条件とも言えるものです。誰にも負けない努力をする経営者でなければならないと私は思っています。

 京セラ創業当時の私は、一生懸命に働き、努力をしなければ、会社の経営はうまくいかないだろうという恐怖心を抱いていました。そして、その恐怖心から一生懸命頑張ってきたわけですが、今日振り返ってみて、それは決して間違いではなかったと思っています。どんな不況に遭遇しようとも、どんな厳しい環境が襲ってこようとも、人一倍努力していくことが、経営者としても人間としても最低条件なのだということを、私は今でも固く信じています。

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