
過(あやま)ちは、誰もが犯したくないと思っている。ところが人生に過ちはつきものだ。凡人の身の僕は、過ちを犯すたびに、ついつい耳目を塞ぎたくなる。そんなときは一呼吸置いて、冷静になってから深夜に古典を開くことにしている。
古典には、過ちについて数多くの事例が紹介されている。そして、不思議と思い当たる一節に、必ず出合う。いつも手元に置いてある『論語』は、その宝庫の1冊である。
孔子は自分が過ちを指摘されたときのことをこう述べている。
「私は幸せ者だ。過ちを犯すと、人がきっと気がついてくれる」(述而第七―三十)
聖人の孔子でも過ることがある。どのような理由があろうと、過ちを素直に認める懐の深さは実に見事である。
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