大阪の天王寺駅から車で10分ほどの位置にあるミシンメーカー、アックスヤマザキは、規模を縮めながらも堅実経営を続けてきた。新型コロナ下ではミシン特需の追い風を最大限に受けて、前期比で売上高2.5倍を記録。営業利益率は25%に達した。市場縮小下で堅実な財務体質を保ち、新規市場を掘り起こす。今後の縮小が確定している国内市場で戦う中小企業の手本の1つがここにある。

(写真/菅野勝男)

<特集全体の目次>
・営業利益率25%、中小ミシンメーカーの「拡大を追わない」経営
・無借金経営でも製品群を大幅削減し工場閉鎖 粗利益率向上を徹底
・「子育てにちょうどいいミシン」がコロナ下で大ヒットした理由
・アックスヤマザキ社長「市場縮小は必ず起きる。継続性第一の経営を」


 2015年の社長就任時は、「1年で結果を出す」と父と約束した。「毛糸ミシンHug」を成功させた後は、粗利改善を粛々と進めた。成長が止まるとき、後退するときが必ず来ると、堅実な舵取りを続ける。

山﨑一史[やまざき・かずし]
アックスヤマザキ代表
1978年大阪府生まれ。近畿大学卒業後、機械工具商社を経て、2005年に父が経営するアックスヤマザキに入社。営業を中心に担当し、15年に社長就任。粗利益率の向上を重視して既存商品の整理を進めつつ、玩具市場などの新市場を開拓した。アックスヤマザキの創業は1946年。山﨑社長の祖父が創業者(写真/菅野勝男)

05年に入社してから、社長就任までの10年間をどう過ごしてきたのですか。

山﨑:営業が中心でした。OEM製品が主力でしたから、他社との競り合いを続ける日々です。なんとか受注をもらって、黒字経営ができていました。

 ただ、ミシン市場全体の縮小と相まって明るい見通しはありませんでしたね。限られたパイを他社と取り合う日々に父も私も疲れていたのは確かです。

 また、自分は一時期はアメフトばかりやってきましたし、アメフトを引退してからも、大学は卒業こそしましたが、きちんと勉強をしてこないまま社会人になってしまいました。そのため、少しでも勉強になればとビジネススクールや後継者向けの塾やセミナーに複数通いました。

 どこでも成績はいいほうではありませんでしたが、「自社の一発逆転につながる事業を考える」という授業だけはクラスで一番になりました。そのときに提案していた内容が子供向けミシン。「毛糸ミシンHug」の原型です。

15年の社長就任時、業績の見通しはどうだったのでしょうか。

山﨑:15年は大口のOEM供給先の影響で、最大で1億円の赤字が出る見込みとなっていました。幸い、父が無借金経営にしてくれていたおかげで、仮に1億円の赤字が出ても倒産することはありません。しかし、それが何年か続けば話は違ってきます。

続きを読む 2/3 父は「打つ手が分からん」

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