『嫌われる勇気』の著者で、哲学者の岸見一郎氏がリーダーのあり方を説く連載の第39回。「社会の危機的時期」である今、責任感のあるリーダーが求められている。では責任とは何か。その意味を改めて問う。

 リーダーというものはいつの時代、どの社会にも存在しますが、従前の常識では対処できないような新しい問題が現れ、「指導者の観念」が特別の含蓄をもって現れてくるのは何よりも「社会の危機的時期」においてであると、三木清はいっています(「指導者論」『哲学ノート』所収)。

 コロナ禍の今は「社会の危機的時期」であるといえるでしょう。リーダーの判断の誤りが直ちに感染者数の増加として現れます。しかし、このような時代だからこそ特別なリーダーが必要なのではなく、リーダーとして当然備えなければならない資質の有無が問題になってくると私は考えています。

 三木は、「強い責任感を有するということは指導者にとって大切なことである」といっています(前掲書)。

 これはあまりに当たり前のことをいっているようですが、ここでいわれる「責任」がどういう意味かを考えなければなりません。

 指導者は自己の行動にいつでも責任を取らなければならないが、これはただ動機さえ純粋であればよいというのではなく、行為の結果に対しても責任を負うことであると三木はいっています。動機さえ純粋であればよいと考えることは、個人の良心を満足させるにしても、社会的には無責任ということになります。

 ここで、三木はマックス・ウェーバーの議論を踏まえています。ウェーバーは「心情倫理」と「責任倫理」を区別しています(『仕事としての政治』)。心情倫理は行為の心情の純粋性を重んじ、行為の結果は問わないが、責任倫理は行為の結果に責任を負うべきであると考えます。

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