2015年、和食器販売のたち吉は投資ファンドに売却された。創業家出身の最後の経営者となった14代目店主が、その経緯と胸の内を語る、特別企画の最終回。傾きゆく家業に入り、金融機関との交渉、取引先や従業員との信頼関係の構築に奮闘したが、再建計画は頓挫。すべてを整理し、社長でも株主でもなくなった「岡田高幸」として、新しい人生を歩み始める。

※ 第3回まではこちら
私が老舗たち吉を売った理由(1)
私が老舗たち吉を売った理由(2)
私が老舗たち吉を売った理由(3)

実質破綻の後の日々

「失敗を語るのも、自分に課した役割」と語る(写真/堀 勝志古)

 こうして、僕はたち吉の経営者でも株主でもない、全くの部外者になりました。

 会社を買ってくださったのは投資ファンドですから、外部のプロ経営者を入れて事業を立て直した後、会社を売却する方針だと聞きました。20年3月中旬の現在、売却されたとのニュースはまだ聞きませんが、再建が順調に進んでいることを切に願います。

 こうして、会社を実質的に倒産させた後、僕の生活はどうなったのか。

 自己破産は、僕も父もしていません。

 僕はもともと、大した資産を持っていなかったので、何を失うということもありませんでした。父は、実家の土地建物と、京都の小さなマンション1室を売却し、金融機関の返済に充てました。

 銀行の方からは、僕らの報酬は従業員より少しいいくらいで、高額ではなかったし、会社の名義で高級車に乗ったり、豪華な社宅に住んでいたわけでもないから、これでいいのだと、説明を受けました。最後の5年の業績悪化は、僕1人のせいでもないという判断もあったようです。これらの対応は、14年から運用された「経営者保証に関するガイドライン」に則ったものであったと思います。

 後片づけが一通り終わった後、事業譲渡を仲介してくれたY社の人が、焼肉をご馳走してくださいました。打ち上げみたいな感じで、ちょっと変な気もしましたが、こんなことをおっしゃっていました。

 「こうやって経営破綻で事業譲渡する場面では、逃げる経営者が多いんだ。資産を隠そうとする人もすごく多い。だから、仲介する僕らは毎回苦労するし、人間の嫌なところも見てしまう。けれど、たち吉の岡田家に関しては、そういうことが一切なくて、僕らも頑張って相手先を探して、気持ちよく仕事できた」だから、打ち上げをしようと思ったんだよ、と。

 出来の悪い14代目でした。それでも金融機関さん、従業員の皆さん、そして仕入先の方々との信頼関係を破綻させずに会社を畳めたことで、最低限の役割を果たせたのかもしれないと感じました。

失敗について語る理由

 事業譲渡を終えた15年夏、「日経ビジネス」の取材を受けました。会社を離れた後、たち吉経由で連絡が入り、「『敗軍の将、兵を語る』というコラムで取材の申し込みがありました」と、伝言を受けました。たち吉を破綻させた失敗談を語ってほしいという依頼です。

 「絶対、嫌だ」と思いました。けれど、実は僕、この連載が大好きだったんです。失敗に学べるからです。経営者をしていた間ずっと、「成功事例より、失敗事例を知りたい。絶対に踏んじゃいけない轍こそ知りたい」と思っていました。だから、自分が散々、こういったコラムで勉強させてもらってきたのに、取材を断るなんてできない。そう思って受けました。

 今回も、ふがいない自分の経験が、誰かの役に立つならと思って、すべてを明かしています。

 構造的な売り上げ不振から立ち直れない老舗は今、多くあると思います。どう頑張っても立て直すめどが立たなくて、私的整理や法的整理を検討するなら、早めの決断を強くお勧めします。僕自身、早く決断したつもりでしたが、最後の資金繰りはかつかつでした。

 万が一の局面を想定して、内部管理で守りを固めることも重要だと思います。財務の基礎的な素養は、あったほうが絶対にいいです。僕は、商学部で簿記の勉強をしていたことが役に立ったと感じています。老舗の跡取りに、財務の勉強は必須でしょう。

続きを読む 2/4 伸びている販路もあった

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り3417文字 / 全文5393文字

日経ビジネス電子版有料会員になると…

人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題

オリジナル動画が見放題、ウェビナー参加し放題

日経ビジネス最新号、9年分のバックナンバーが読み放題

この記事はシリーズ「日経トップリーダー」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。