アメーバ経営もやめた

本社のある京都市内には、ワタベウェディングの店舗がいくつもある
本社のある京都市内には、ワタベウェディングの店舗がいくつもある

そもそも13年前、なぜ秀敏さんと交代をしたのですか。

渡部:私は20歳の頃から、母親に実印を持たされ、実質的に経営を切り盛りしてきました。そして37歳で社長に就きます。以来、30年間の社長時代、年率15%ペースで売り上げを伸ばしてきました。15%なら5年で2倍になるので、資金調達や人材採用の計画を立てやすいということもあります。

 でも、いつまでも社長を務めるわけにもいかない。稲盛和夫さんが主宰する「盛和塾」に入っていたので、「来年、社長在任30年を迎えるのですが、息子と交代したほうがいいでしょうか」と稲盛塾長に相談したのです。そうしたら、「息子に譲れ」と。しかも「二頭馬車になって、おやじの顔色を見ながら経営をするのはいかん。何かあったら俺が息子に経営を教えるから完全に引け」と。そこまで言われたら仕方ないなと。

秀敏さんは当時41歳。若いうちに後進にバトンタッチし、経験を積ませたほうがいいという稲盛さんの考えは理解できます。

渡部:それは息子に経営能力があるという前提でのことですね。ただ、尊敬する稲盛塾長がそう言うのですから、従いました。グループの目黒雅叙園やメルパルクなどの社長は私が続けることにして、ワタベウェディングは秀敏に任せました。

 ただ、社長になった秀敏は1年くらいすると、アメーバ経営による収益管理をあまりしなくなった。これは稲盛塾長から教えてもらった小集団別の採算管理手法で、各部門の収益が素早く、手に取るように分かるから、私は頼りにしていました。それが、次第に細かな収益意識が薄れてしまったようです。

 私が「右だ」と言うと、左に行く男です。私の経営は間違っていたと否定したかったのでしょう。私と顔を会わせたくないからか、営業本部を東京に設置するという名のもとに、京都にはほとんどいなくなりました。

子が親の経営を否定するのはオーナー企業では珍しくありません。もしかしたら、秀敏さんのほうからすれば、彼なりの考えがあったのかもしれません。

渡部:息子に継がせることしか頭になかったことが間違いのもとでした。(ワタベウェディングの前身である)ワタベ衣装店を創業した私の母は、徳川綱吉の時代から12代続く扇子屋の娘です。母はそのことを誇りにしていました。

 京都の会社は、長く続けることを一番の目的にしなさいと言われ、近所で店をたたむ人がいると「こんなことをしたら潰れるんだよ」と教えられました。「家を守ることを念頭に経営する」という考えは、私の中にも刻まれました。

 ワタベウェディングが12代も続くかどうかはともかく、2代目の私がやるべきことは、息子を経営者にし、家を守っていくことだと考えていた。株式上場企業なのに、家業を引きずっていたのです。

 上場しなければよかったという見方もありますが、上場しないと15%成長はできない。銀行からの資金調達では無理がありますから。それに借り入れの個人保証が20億~30億円ほどありましたから、それも不安でした。

 後継者に関しては「渡部家」のことしか考えておらず、秀敏自身もいずれは跡取りという認識はもちろんあったはずです。今から思えばそこが最大のミスです。

 秀敏には稲盛塾長の哲学を学ばせるため、第二電電(現KDDI)で3年間修業させた後、ワタベウェディングに入れました。その後はオーストラリアなど海外の小さな子会社に送り、マネジメントの勉強をしてもらいました。

 日本に戻してからは、秀敏が失敗しないように、親心から優秀な社員を秀敏に付けましたが、かえってそれが失敗で、能力を正しく見定めることができなかった。私の手元に置いて、経営を教えればよかったと後悔しています。

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