青汁など健康食品のOEMや衛生用品などの販売を手がけていた。国産の有機栽培原料を使うなど品質を追求したが、価格競争が激化。原発事故の影響で取引先が離れ、コロナ禍の打撃が大きく、行き詰まった。

ミナト製薬本社があったビル(東京・銀座)
ミナト製薬本社があったビル(東京・銀座)

 2022年1月4日、健康食品などの製造販売会社、ミナト製薬(東京・中央)は東京地方裁判所に自己破産を申し立て、翌5日に破産手続き開始の決定を受けた。負債総額は約15億円。

 ミナト製薬は40年ほど前に青汁の製造を始めた。売り上げの約8割はOEM(相手先ブランドによる生産)で、商社を通じて大手食品会社などに供給するほか、自社商品をネット通販などでも販売していた。

 58人いた従業員は、21年12月28日をもって全員解雇となった。「前々から状況が厳しいとは聞いていたが、あまりに急なことで驚く社員が多かった」と当時を知る関係者は言う。

 新年早々に破綻を知らされた取引先がほとんどだった。長年付き合いがあるという取引先は「コロナ禍以降は取引量が減ったときもあるが、支払いが遅れるようなことはなかった。こんなことになるとは思わなかった」という。

明治期に点鼻薬を開発

 ミナト製薬の歴史は長く、1888(明治21)年、兵庫県明石市にあった病院の創始者、湊謙一氏が点鼻薬のルーツとなる薬剤を開発したことに始まる。

 1928(昭和3)年に湊製薬所として発足し、39年に株式会社化。点鼻薬「ミナトシキ液」を医家向けに製造販売した。

 しかし終戦後、栄養状態や生活環境が改善されてきた60年代頃から鼻の病気の患者数が減り始め、点鼻薬の需要が減少する。窮地に立たされたが、薬だけでなく病気を予防し健康に役立つものを作ろうと健康食品分野に進出したという。当時、医薬業界から健康食品に進出する会社はまだほとんどなかったようだ。

 71年に、製薬技術を生かしたロイヤルゼリーの栄養補助食品を発売。その後もクロレラ、玄米黒酢などの健康食品を次々開発した。当初は訪問販売が主な販売ルートだった。

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 今は当たり前になった不織布のサージカルマスクを日本で初めて流通させたのもミナト製薬という。85年、AIDS(後天性免疫不全症候群)が社会問題になった際に、東京消防庁の救急隊員の感染対策用マスクとして同社製品が採用され、そこから不織布の使い捨てマスクの市場が広がったという。

 新規分野の開拓が奏功して会社は成長し、2000年8月期には売上高35億円、当期利益で1億円を計上した。健康食品事業を率いた義村三郎氏が00年に社長に就任。いったん06年に会長に退くが、組織再編により13年に再度、社長に就任している。

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