家業を承継し、一代で全く異なる会社に事業変革(トランスフォーム)した経営者、「事業トランスフォーマー」を紹介する本コラム。今回は平川食品工業(佐賀県武雄市)の3代目、平川大計社長を紹介したい。霞が関の官僚から家業の豆腐製造卸に戻り、新商品を開発し販路を広げて家業の売り上げを6倍以上にした。

官僚を辞め、新たな出発に備え、とりあえず実家の会社に入社した平川社長。ところが家業は窮境。ここから事業変革が始まった(背景は嬉野店)
官僚を辞め、新たな出発に備え、とりあえず実家の会社に入社した平川社長。ところが家業は窮境。ここから事業変革が始まった(背景は嬉野店)

 平川食品工業は、1950年に平川社長の祖父が佐賀県北方町(現武雄市)で創業した豆腐店から始まっている。2代目の父親が76年に工場を新設、法人化して平川食品工業とした。「作れば売れた」という経済成長期に売り上げを伸ばし、80年代後半に月商1000万円規模まで成長させる。

 しかし90年代に大手スーパーが佐賀県にも進出、豆腐の価格競争が激化。さらに一番の得意先だった地元食品スーパーが97年に倒産し、平川食品は売り上げの約3割を失い倒産の危機に直面する。先代は食品卸経由の取引を増やしたが、食品卸のマージンは大きく支払いサイトも長かったため、同社は資金繰りに苦労するようになる。

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