
今回は業務スーパーが生まれる以前の思い出話を交えて、「大事」に臨む際の心構えについてお話ししたいと思います。
私は1981年に小さな食品スーパーを開業した後、99年までは食品スーパー「フレッシュ石守」を2店舗運営していました。ほかに、中国・大連に食品工場を建てて、混ぜご飯やコロッケといった食品を製造して、輸出する事業も手掛けていました。
フレッシュ石守は地元に根差したスーパーとして繁盛しました。この2店舗は現在も神戸物産の直営店として残っています。ただ、当時は店舗を拡大する意思はありませんでした。というのは、市場での商品の仕入れや精肉加工といった作業は私の担当で、既に手いっぱいでした。それに食品スーパーは繁盛しても利益率がせいぜい1~2%。繁盛しても利益が少なかったのです。
食品スーパーはたとえ超大手であっても、安泰とは言えないビジネスでした。ダイエーやマイカルは90年代後半から苦境に陥っていましたから。
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